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Dusk 第一章「幽霊」

改めて 第一章です








 どこにいるの。
 何度見ても、全く見えなかった。そのままの意味で影も形もない。
 どういうことなのかまったくわからなかった。気が狂ってしまいそうだったので、わたしは歩き回るのをやめた。
 完全に壊れてしまわないように、唯一自分の存在が確認できる場所で、ずっと問い続けた。
 わたしはどこ、と。




 気がつくと俺は公園にいた。学校と家の間にある、通い慣れた公園。父と母と妹と俺、家族四人全員で来ていた。みんな笑顔だ。子どもの頃のように、無邪気に走り回っている。何となく懐かしい気持ちになる。だってこんな光景は——
 ふと自分の思考に疑問を覚える。だってこんな光景は——なんだ? 確かに四人で公園に来る事なんてあまりないかもしれないが家から五分だ。来ようと思えばいつだって来られるはずじゃないか。
 違う、と頭のどこかから声がする。そんな問題じゃないと。じゃあなんだって言うんだ。この、例えようのない違和感のような感覚は。
 ——不意に景色が灰色になった。
 それだけじゃない、まるで時間が止まってしまったかのように、何もかもの動きが止まっている。
 どうしたんだ、と声を出そうとして気付く。俺自身全く動けない事に。
 そんな灰色の世界でただ一人、父さんがこちらを振り返った。お気に入りの帽子で表情を隠している。
「桜花、お前は——」
 その言葉を最後まで聞く事はできなかった。突然視界が真っ白になって、そして——

「お兄ちゃん!!」

 目を覚ました。
 周りを見渡す。妹が俺の肩を揺さぶっていた。
「なんだ、夢か」
「夢かじゃないよもー!」
 どうやらずっと呼ばれていたらしい。
「電話! 電話ずっとなってるよ!」
 半分眠ったような状態のまま起き上がると自分がソファに寝ていた事に気付く。なんだ、俺は昨日はベッドで寝なかったのか。
「電話ー! でーんーわー!」
 次第に意識がハッキリすると、確かに携帯が床で震えてけたたましい音を立てていた。これはうるさい。
「ごめんごめん今でる」
 床の携帯電話を拾い上げて通話ボタンを押した。
「もしも——」
『もしもし佐倉!? 暇かい!? 暇だよな!! 一緒に都市伝説の謎を解き明かそうぜ!! その伝説ってのがな、』
 ピッ。
 反射的にきった。
「さて、朝ご飯食べよっか」
「電話、よかったの?」
 笑顔でうなずく。今日のご飯はみんな大好きカレーです。

 軽くシャワーを浴び、着替えてから食卓に着く。今この家には、俺と妹の舞の二人で住んでいる。正確に言うと、大学生になって一人暮らしを始めた俺の安アパートに舞がしょっちゅう遊びにきていてもはやほとんど住んでいる状態になっているという感じ。一人暮らしはやはり寂しかったので、妹が頻繁に遊びにきてくれて正直助かっている面もある。
「やっぱり一晩寝かせたカレーは違うね!」
 舞が満足げに言う。正直作った俺自身にもそこまで違いはわからないが、舞が満足ならば素直に嬉しい。
 ご飯を食べ終わって時計を見ると9時を少し回ったところだった。朝ご飯を食べ終わった後の時間が9時ならばなかなかの早起きと言えるだろう。
「なかなかに早起き」
「私が必死に起こしたからじゃん」
 妹がじとっとした目で見てくる。
 ともかくあと午前中が三時間もあるなんてレアケースだ。今日はもう二月で、特に授業もないのだし。
 窓を開けてみる。冷たい風が部屋に流れ込んできた。悪くない気分。早起きは三文の徳というやつだろうか。
「お兄ちゃんどっかでかけるの?」
 上着を羽織った俺を見て舞が言う。
「ちょっとコンビニ」
 もうちょっと本格的に冬の朝の空気を味わいたいのと、お気に入りの缶コーヒーが切れたので補充したいのと。家に居てテレビを見てると午前がスキップされてたりするし。
「いちごオレかってきてー」
「はいよ」
 ちょっと早起きしただけだけど、今日はなんとなく調子がいい。
 家をでてちょっと深呼吸。やはり良い。この空気いい。しかし俺はこんなに詩的な思考回路をしていたっけ。なにはともあれコンビニだ。
 爽やかイケメン店員のいらっしゃいませーを聞きながら自動ドアをくぐる。飲料コーナーに直行。あった、甘党宣言キャラメルコーヒー。ただ甘いだけではなく上品な甘さとキャラメルのほのかな塩味を感じる一品だ。まさしく、真に甘党宣言の名に相応しいと言える。最近品薄なので1ダースほど買いだめ。俺以外に買っている人を見た事がないのだが、まさか生産終了等しないだろうなと最近不安で仕方ない。
 甘党宣言1ダースといちごみるく、合計2〜3キロの大荷物を持ってコンビニをでると、 変な眼鏡男が立っていた。しかもこっちに手を振っている。
「待っていたぜ佐倉桜花。この俺から逃げられると思うなよ、この俺、菊澤敬之からな!」
 一年以上の付き合いになる俺にわざわざ自己紹介までしてくれた。今朝の迷惑電話の犯人であるところのこいつは、安眠妨害だけでは飽き足らず、俺の休日をとことん邪魔する魂胆らしい。
 ため息をつく。ここまでされたらもうしょうがない。さすがの俺も隣県から朝早くわざわざやってきた友人を無下に追い返せるほど非情にはなれないので、潔く話を聞く事にした。黙っていれば知的に見えるこの銀縁眼鏡は、一度面白い事を見つけてしまったら追いかけなければ気が済まない性格なのだ。暑苦しいというかなんというか。
「……都市伝説とか言ってたな」
 寝起きだったので切ってしまったが確かそんなことを言っていた。
「ようやく乗ってくれる気になったか、さすが桜花ちゃん」
「ちゃんはやめろ」
 桜花というのは我ながら変わった名前だと思う。女の子っぽいといわれることもある。でも決して嫌いではない。嫌いではないのだ。
 これから長い話が始まるのだろうし、いい加減荷物が重かったので、とりあえず公園に移動することにした。
「じゃあ話させてもらうぜ。俺様が見つけた特大スクープネタをな」
 ギラリ、と眼鏡の奥の大きい目を輝かせているところを見るに、今回のネタにはよほど自信があるらしい。
 菊澤は無駄すぎるオーバーアクションで俺に指を突きつけて高らかに宣言した。
「この町にはどうも本当にいるらしいんだよ。『幽霊』が」
 その自信満々さ加減とは裏腹に、話の始まりは何ともありきたりなものだったので、俺は少し拍子抜けする。
 そんな思いが表情に出ていたのか、菊澤はわかってる、まぁ良いから聞けとばかりに右手を振った。
「毎年毎年、ある程度の共通項をもった幽霊との遭遇体験が、この町のそこかしこで話されていたんだ。共通項は『小さい』『ほぼ無音』『全く見えない』という些細なものだったけどな」
 小さい、以外は幽霊としてありきたりな特徴ばかりだ。菊澤がなぜあそこまで自信満々だったのか理解できず眉をひそめる。すると菊澤はここからが本番とばかりに声を潜めた。
「ところが、だ。今年に入って、あれほど噂されていた幽霊の話が、一切入ってこなくなったんだ。突然、ぱったりとだ」
 ようやく、特徴らしい特徴が出てきた。だがそれは想定外の方向だった。
「幽霊がでた、じゃなくて幽霊が出なくなったのが奇妙だってことか?」
「その通り」
 我が意を得たりとばかりに大げさに頷く。
「確かに! これまでの目撃情報にも不確かなものは多かった。だけど毎年一杯エピソードは語られていた。それが突然止んだんだ。おかしくはないか? 俺が言うのもなんだが、怪談話なんて普通はせいぜい場をにぎわすストーリー程度のもんだろ。それを嬉々として語ってた奴らが突然止めちまうなんて」
「でも、ただ飽きただけって可能性も十分あるんじゃないか」
 流行なんてものは、終わったらぱったりと止んでしまうものだ。それが怪談みたいな不確かなものならなおさらだ。
「その可能性は低いんだ、今回の場合に限ってはな。なぜなら俺の知る限りこの話は、もう七年前には語られはじめているんだぜ」
 七年も続いた流行が、ぱったり止む。いや、七年も続いていたらそもそも流行とは呼び辛いかもしれない。
「それにな、他の怪談と違って、この怪談はこの地域でしか語られていない上、エピソードも具体的な遭遇体験談がほとんどなんだ」
 それは確かに奇妙だ。菊澤がひとまとめにして扱っているのは、『この地域』で語られている『小さい』『ほぼ無音』『全く見えない』という共通項でまとめられたもの。そもそも大多数の人は、同じ怪談として扱っているかも怪しい。そしてそのタイプの怪談がぱったりと消えた。そして、菊澤はおそらくこう思ったのだろう。
「何らかの事情で突然語られなくなったことでむしろ少し前までは本当に居た可能性が高い、ってわけか」
「その通り。さすが桜花ちゃん話が早い。ならこれから俺が言うこともわかってるな?」
 決まっている。
 この男が、机上で情報をまとめただけで満足するわけが無いのだ。

「おかえりー遅かったね。だれかとあったの?」
 あれから少し菊澤と話して帰ってきても、まだ午前10時半。午後まで90分もある。たまには良いな、早起きするっていうのも。
 幽霊探索はやはり夜、ということで、一度解散することになった。どちらにしろ、俺には今日用事があるので、菊澤が提案しなくても自分から言うつもりだったが。
「今日行くんだっけ」
「うん」
 短く返答。毎年恒例の行事なので、舞も俺がなにしにいくんだかはわかっている。
「じゃあ甘党宣言こんなに買ってこなくても良かったんじゃないの」
「まぁ……そこはノリで。このぐらいの量、すぐ飲みきっちゃうって」
「それが問題なの!」
 妹に叱られた。
「私だってそりゃあいちごオレ結構飲むけどお兄ちゃんの甘党宣言ジャンキーっぷりには目を疑うものがあるよ! 1ダースをすぐ飲みきっちゃうって自然に言えちゃうあたりひどいよ!! 発売したばっかの震災の時は不安とかあってのことだろうって黙ってたけどむしろあの時より悪化してるじゃないもうこのジャンキー! ジャンキー!! 糖尿病とかになっても知らないんだからねっ、一本もらうよ!」
 ぷんすかしながら一本飲み干してしまった。残り11本。ということは
「二日後には買い足さなきゃな、みたいな顔してる」
「二日後には買い足さなきゃな……ハッ!」
「やっぱり……そもそも冷蔵庫にまだ三本残ってるんだからね」
「家に一本も無い状況が一瞬でもあったら不安でしょうがないじゃないか」
「もうだめだこのジャンキー」
「ま、舞だっていちごオレが切れたら焦るだろー!」
「いいえ」
 即答された。俺がおかしいだけらしい。
「そういえば舞は今年も来ないのか?」
「私が行ってもね……」
 そういって舞はそっぽを向いてしまった。俺も行きたくないものを無理に行かせる気はないので、これ以上は追求しないでおく。
 舞としても、色々複雑なところがあるのだろう。

 午後五時。俺は再び家を出ていた。
 用事というのは、毎年この日にここ『喫茶店Akira』に来ることだ。レンガ作りの外装や味の確かなメニューで、知る人ぞ知る名店だが毎年この日はわざわざ早く店を閉める。もっとも俺はただ美味しいコーヒーを飲みに来たわけではない。ここの店長である施境彰さんに会いに来たのだ。彼とはちょっと長い付き合いになる。
 CLOSEDの札がかかっている重いドアを開け、聞き慣れた来店を知らせる風鈴の音を聞きながら店内に入ると、ちょうど顔を上げた彰さんと目が合った。
「いらっしゃい、佐倉くん。今年ももうこんな時期なんだね」
 彰さんは黒縁眼鏡の奥から優しく笑いかけてくれた。確か今年で41歳のはずだけど、少し顔には疲れが見えて、年齢より老けて見える。
 それも当然か、あの時からもう七年経つんだから。
「いつのもかい?」
「はい、お願いします」
 椅子に腰掛けながら応えた。毎年この日の俺の注文は決まっている。
「あれからもう七年経つんだね」
 店長もまた、俺と同じ気持ちのようだった。苦笑いのような表情には、寂しさの色がはっきりと浮かんでいた。
 俺は何となく、扇子を取り出して机の上に置いた。桜の樹が描かれた、とても美しい扇子。この佐倉家に代々伝わるものらしい。
 この扇子は、七年前に行方不明になった父が、俺に託したものだった。
「おまたせ」
 コトっ、とマグカップが机に置かれる音で我に返る。毎年おなじみのキャラメルコーヒーだ。さすがに缶と違って毎日買ったりはできない、特別なお気に入り。
 一口飲む。やっぱり格別だ。口に含んだ瞬間即座にキャラメルそのものを想起させる甘みとほのかな塩味、そして滑らかな舌触り。毎回感動できる美味しさ。
 店長も自分でブレンドコーヒーを入れて席につき、それから扇子に目をやった。
「あのとき、舞ちゃんが発見されたとき、この扇子を握りしめていたんだったね」
「ええ」
 あの時、七年前。父と舞は同じ事件に巻き込まれた。そして舞だけが帰ってきた。
 いや、この言い方は正確じゃない。
 千人以上の人間が行方不明となり、同じ場所に居たはずの舞だけが、全くの無傷で帰ってきたのだ。
 行方不明になった人間の中には、彰さんの娘さんも居た。未だに事件は、何一つ解決の糸口がつかめてい無いどころか、遺体すら一体も発見されていないのだ。
 わかっているのは、行方不明になったのはフィッツジェラルドランド、通称フィッツランドという遊園地のサーカスハウスにいた人たちだということだけ。
 全く進展を見せることなく七年もの時が過ぎてしまったのだ。
 あまりにも、理不尽な事件だった。
「七年も何の手がかりも無いなんて、本当に意味が分からないよ。でもね、舞ちゃんのおかげで、僕はまだ諦めずに信じ続けていられるんだ」
 疲れてはいても、曇りの無い瞳で彰さんは言った。
「僕も、父はいつかひょっこり帰ってくるような気がしてます」
 それから、しばらくコーヒーを飲みながら談笑した。俺の父は母からもらった帽子を異常に気に入ってずっとかぶっていたということ。彰さんの娘さんは女の子だけど変身ヒーローが大好きだったこと。今は何処にいるかわからない大切な家族の思い出話を、同じ境遇の者同士、とても穏やかな気分で語り合った。
 お互い大切な人を失ったときに出会って、それ以来続いている彰さんとの親交。分かれる時はいつも同じやり取りをすることにしている。
「早く帰ってこないもんでしょうかね」
「どこほっつき歩いているんだろうね」
 願わくば、来年は違うやり取りにならんことを。


2.

「七年か。永かったね」
 その声の幼さに似合わない、深い感慨を込めて彼は言った。
 周囲の人間たちは、その言葉の意味を理解すると、慌てて立ち上がった。
「ついに、ですか!?」
 その中の一人が興奮冷めやらぬ様子で、けれど敬畏を込めて尋ねた。
「ついに、さ。ついにボクたちが動き出す時が来たんだ」
 彼はそう言った後、年相応に可愛らしく微笑んだ後、いたずらっ子のように付け加えた。
「彼も、ね」


3.

「さて始めるぜ、ゴーストハント!!」
 時刻は夜9時。夕飯は既に食べてきた。
「行くぞ佐倉桜花。お前のやる気は十分か!!」
 菊澤が少年のように顔を輝かせて叫んだ。
「ああ」
 俺も叫びはしないまでも気合いを込めて応答する。
 約七年前に現れ、急にいなくなってしまった幽霊。口に出しては言わなかったがその話を聞いたときから俺は確信していた。
「行き先はフィッツランド、立ち入り禁止区域だ」
 案の定菊澤が提案した行き先はここだった。
 そう、確実にこれはフィッツランド事件と関係がある。七年前、この地域。関係がないわけが無いのだ。
「俺の読みでは、あの幽霊伝説が生まれたのはフィッツランド事件から生まれたものだ。いや、あえて『ハーメルン事件』と呼ぼうか!」
 菊澤もやはりそう考えていたのだ。ハーメルン事件とは、死体が発見されず全員が行方不明であることからつけられた通称だ。どこか違う世界に消えてしまったとしか思えない、事件の意味不明さが前面に出た呼称だ。
「なによりもまず事件のあったこの場所を調べるのは必然、必ずや手がかりが見つかるだろう!」
 立ち入り禁止区域、それは事件のあったサーカスハウスがかつてあった場所、ファンシーエリア。今となっては再開される予定の無い死にエリアである。
「本当に勝手に入って大丈夫なんだな?」
「そういうところでドジったりはしないさ。それはお前も知っているだろう?」
 今日は狙ったように休館日である。いや、実際狙ったのだろう。確かに菊澤は一見いい加減だが、楽しいことの下準備に気を抜くタイプではない。こいつが大丈夫と言ったのなら大丈夫なのだろう。それ以前に、実際来てみてわかったことだが、ここの警備はどうも大したことはなさそうだ。国内有数の大型テーマパークとしてオープンしたこのフィッツランドだが、あの事件以来客足が芳しくなく、普通のローカル遊園地レベルに成り下がっていた。七年前ならいざ知れず、今のここのセキュリティなどたかが知れているというわけか。
 サビが目立つフェンスを乗り越え、易々と中に侵入する。あまりにあっさりと侵入できてしまい拍子抜けするレベルだった。かつてあった巨大なサーカスハウスは影も形もないが、それ以外のアトラクションは未だ解体されること無くそびえ立っている。
「兵どもが夢の後……ってか」
 仮にも国内最大級、アトラクションもかなりのものがそろっているのだが、今や禁止区域だけではなく現在進行形で稼働しているエリアでさえ手入れの行き届いていない部分が目立つ。フィッツランドの象徴たるフィッツジェラルド時計塔ですら蔦まみれだ。これでは創設者も浮かばれないな、と思った。
 そんなノスタルジーに浸っている俺にかまわず菊澤はマップを広げて、何やら印のつけてある場所を確認している。
「サーカスハウスと同区画にあって、現在閉鎖されている建物は三つ。フルーツパラダイス、どりーむめりーごーらんど、そしてプリズムホテルだ。佐倉、もしこのどれかに幽霊がいるとしたらどこだと思う?」
「まぁプリズムホテルの可能性が一番高いんじゃないか」
 プリズムホテルはアトラクションではなく、普通の宿泊施設である。幽霊だろうがなんだろうが、潜伏するのだとしたらこれほど快適な空間はあるまい。
 だが菊澤は俺の答えにしたり顔で首を振った。
「普通、そう考えるだろうな。だが俺が思うに、幽霊がいる可能性が高いのはフルーツパラダイスだ。いや、たとえホテルの可能性が一番高いとしても、まずここから探すべきだ」
 菊澤の見解に俺は首を傾げる。
 フルーツパラダイスは、全体が色とりどりの巨大フルーツやパフェをはじめとするデザート類を模した装飾品で彩られ、フルールにちなんだアトラクションが数多くある、これでもかというほどファンシーな施設だ。デザート販売コーナーも二階にある。フルーツまみれのアトラクションを見た後はやはり本物が食べたくなるって寸法だ。だがここが潜伏場所に向いているとはとても思えない。
「まぁ聞け。確かに普通に考えたらホテルに潜伏するだろう。だが思い出してくれ。幽霊の特徴に『小さい』というのがあっただろ。合理的に考えたらそりゃホテルだろうが、子どもが一番好きそうなので潜伏できるのならここじゃないか? それに、ホテルはガチの宿泊施設だから探すには部屋数が多すぎる」
確かに、菊澤のいうことも一理ある。ホテルを探すのは時間がかかる。先に見ておくのは合理的かもしれない。ここは大人しく菊澤の意見に従うことにした。


「しかし改めて凄い場所だなこれは」
 空中に浮かぶフルーツ型のコースターは種類が多く精巧で、デザイナーのこだわりが感じられる。色鮮やかながら毒々しさは全くない
「でもなんで閉鎖されてるのに照明がついてるんだ?」
「点検できるように電気は通っていたからな。別にそんなに難しいことじゃなかった」
 本当に下準備はばっちりのようだった。
 菊澤の提案で、俺たちは二手に分かれて捜索を開始することにした。なんといってもこのアトラクションは広い。二手に分かれでもしなければ、日が変わってしまうことだろう。とりあえず俺は一階、菊澤は二階を探すことにした。
 とは言っても、幽霊なんてどう探したものか。しかも『小さい』『ほぼ無音』『全く見えない』と来たものだ。よくそんな幽霊の噂が浸透したものだ。
 でももしその幽霊を見つけることができたら、あの事件について何かわかるかもしれない。俺はその一心でここまで来たんだ。
「そのためには真剣に探さないとな……」
 闇雲に探しても無駄だろう。小さくてほぼ無音で全く見えない幽霊をどう探すかを最初に考えることにした。
 まず気になるのは『全く見えない』に対して『ほぼ無音』というところ。つまり、音が全くしないわけではないのかもしれない。幸いにして止まっているこのアトラクションの中は静寂で満ちている。視覚より聴覚を頼りに動くことにしよう。
 そして後は痕跡を探すこと。本体が見えないのだとしても、そこにいた証が何らかの形で残るかもしれない。といっても幽霊の痕跡なんて想像もできないが、でもまあ方針は決まった。わずかな音も聞き逃さないように、足音をなるべくたてないように歩いていく。
 いや、歩いたり考え事をしたりしているとそれだけで聴覚は鈍る。一度完全に立ち止まって、聴覚だけを研ぎすませよう。
 どんな音でも良い。何か聞こえないか。そう思って全力で耳をすませた。

 ——ぴちゃん……

 微かに、本当に微かに、音が聞こえた。
 水の音のようだ。
「水の音……あそこしかないな」
 心臓が高鳴るのを感じる。このアトラクションで水の音がする場所なんて一階にはほとんどない。このアトラクション1の見所、ゼリーの湖だ。静かに、しかし足早に、俺はゼリーの湖へと急いだ。
 ゼリーの湖というのは、水気が強く実際はほぼジュースだが、本物のゼリーでできた湖だ。桃色で、甘い香りが漂い、真上を通過するライドアトラクションの客達を誘惑する。実際に泳ぐことは出来ない仕様だったはずだが、そう、閉鎖されている今なら、立ち入ることだってできる。菊澤の言う通り幽霊が子どもなのだとしたら、ゼリーの湖にいる可能性は十分に考えられる。
 だが、湖に到達した俺は、しばし言葉を失った。
 この湖は、いまだに稼働していた。誰が何のために維持しているのかはわからない。だが、現に目の前で間違いなく現役時代と同じように動いているのだった。
 つまり湖のゼリーは循環し、常時音を立てている。俺が聞いた水音はこれだったのだ。
 そう簡単に見つかるわけがないか……。
 そう思ってその場を立ち去ろうとしたときだった。

——待って

 少女の声が、俺を呼び止めた。
 反射的に振り向いた俺の視線の先には、ただゼリーの湖だけが広がっていた。





4.

 少女の声は、うっかりしていれば聞き逃しかねない小さなものだった。だが俺には確かに聞こえた。去ろうとする俺を呼び止める声が。
 再び心臓が暴れ始める。
 わかる。感じる。これは興奮。ついに見つけた。
——七年間で初めて得る手がかりになるかもしれない存在。
 鼓動の音がうるさい。自分の体全体が鼓動しているかのようだ。
 どこだ。どこにいるんだ。わからない。本当に見えない。だがそうでなくては来た意味が無い。
 武者震いを抑え込み、俺はゼリーの湖に向かって答えた。
「待つよ」
 答えた後変な返事だったかもしれないと思ったが、特に問題はなかったようで、再び少女の声が何も無い空間から発せられた。
『あなたはだれ?』
 そのまま通過していってしまいそうなほど透き通った声。その質問はそっくりそのままこっちが聞きたいことでもあったが、質問に質問で返すのは礼儀知らずのすることだろう。堂々と名乗ることにした。
「俺は佐倉桜花」
『さくらおうか。綺麗な名前』
 真正面から褒められると少し照れくさい。とりあえず、答えるには答えたので今度はこっちから質問する。質問したくて仕方なかった。
「君は誰?」
 俺の声は、緊張で少し震えていた。
 少女は、今度は少し間を置いてから短く答えた。

——わたしは幽霊。

 驚いた。自分で言うとは思わなかった。
 だが……これで本人のお墨付きだ。目の前の見えない存在こそがフィッツランドの幽霊その人に間違い無い。熱い何かが込み上げてくるのを感じた。
 ついに、つかんだんだ。
『怖がらないの?』
「ああ」
 即答した。怖がるわけがない。望んでいた存在と出会えたのだから。
『いままでみんな、怖がって逃げちゃったのに』
 普通の人間は、幽霊を捜しにきても本物の幽霊と出会ったら逃げるのだろうか。やっぱり俺は少し変なのかもしれなかった。
「俺は逃げないよ。だって君に会いにきたんだから」
『わたしに……?』
 少女の声は、心無しか少し嬉しそうにきこえた。
 ——ああ、そうか。
 手がかりが見つかるかもしれないということしか考えていなかったが、この幽霊少女が今までどうしていたのかなんて少し考えればわかることだった。
 今までは「みんな逃げてしまった」。その一言はほぼその答えと言えるだろう。ましてこんなところに居て、都市伝説の幽霊目撃談も風化してしまったぐらいなのだ。今、この子は本当に一人なのだろう。久しぶりに人と話せたら、それは嬉しいに決まってる。
「最後に人と話したのはいつ?」
『いつなんだろう。よくわからない。けどバクハツがあってから今日が初めて』
 予想通りの答えだったが、やはり実際に聞くと辛かった。幽霊と出会えた興奮がもやもやした感情に塗りつぶされていく。
 バクハツ……フィッツジェラルドランドのサーカスが焼失したあの日からずっと。
 つまり、七年間。
 それだけ長い間、この子はずっと一人でいたのだ。誰とも話すこと無く。七年前ならおそらく声の主は年齢一桁だっただろう。一体、どうやって今まで生きてきたんだろう。いや、死んでいるのか。だとしてもどうして。
 気がつけば俺の口は勝手に動いていた。
「……どうして」
『え?』
 それは疑問だった。
「どうして怖がる必要があったっていうんだろう」
 実際幽霊少女にあってみて感じた、純粋な疑問だった。
「君は俺には見えないし、本当に幽霊ってやつなのかもしれない。でもそれだけだ。七年前から噂があるのに呪殺の被害報告の一件も無いような女の子がなんで——」
 七年間も孤独なまま彷徨わなければならなかったっていうんだ。みんながみんな、怖がって逃げ出してしまったっていうのか。こんな小さな女の子を一人置き去りにして?
『ちょっと前までは、きづいてもらおうとしてた。でもだめだった。ほとんどの人はきづいてくれなくて、きづいてくれた人も逃げちゃうの』
 俺には想像もつかなかった。誰一人自分に気付かない世界の中で七年間も過ごすだなんて。七年間って、この子の人生のほとんどを占めるんじゃないか。普通ならとっくに発狂しててもおかしくないんじゃないか。
 正面を見ていられなくなって、顔を伏せた。
 求め、発見した「手がかり」を実際前にしたが、実情を知った今それを手放しで喜ぶことなどもはや出来なかった。
 フィッツランドの幽霊。フィッツランド事件の犠牲者達が、たとえ幽霊と言う形ででも存在し続けていてくれるのなら、俺はそれでもいいと思っていた。だが今となっては自分の考え違いを呪わざるをえない。幽霊になるっていうのは、永遠の孤独之孤独に閉じ込められるってことだったんだ。
 なんて、残酷な運命なのだろう
 空調はちゃんと効いていてこの部屋は暖かいのに、なぜだか外にいるかのように全身が冷えきっていた。
 ……いや、そんな感傷に浸って何になるんだ。俺はフィッツランド事件の真相を暴くためにここに来たはずだっただろう。
 俺は幽霊少女と会話することが出来ている。少しは孤独をいやすことだって出来るだろうし、彼女は事件の経験者。話だって聞けるはずだ。
 そこまで考えて、一つの疑問が思い浮かんだ。
 1500人が行方不明になったあの事件を経験して、どうしてこのフィッツランドに戻ってこようと思ったのだろう。普通は恐ろしくなるものではないのだろうか。
 俺は目の前にいるはずの少女に問いかけた。
 答える少女の声は、今度はほんの少しだけ辛そうだった。
『おうちにかえれなかったから。どうやってかえればいいのかわからなくて……だからここにもどってくるぐらいしかおもいつかなかった』
 そうか。この子はこの地域限定の都市伝説の正体。帰る場所も行く場所も無かった彼女には、せいぜいここに戻ってこられる範囲で出歩くことしか出来なかったのだ。
『プリズムホテルにはベッドもあったし、ひまになったらここにくれば、わたしがここにいるって分かるから、ここがすきだった』
 自分がここにいるってわかるから。少女はそう言った。
 でも、俺にはその意味が分からなかった。
 どういう意味だ?
 ここにいれば、自分がここにいるって分かる?
 ゼリーの湖を流れる。循環し、水面は波紋で揺らいでいる。
——波紋?
 その瞬間、俺の頭の中で何かが繋がった。
 そして気付くと俺は叫んでいた。
「ジャンプして!」
『え?』
「いいからっ!」
 思わず責めるような口調になってしまったが、一刻も早く確かめなければ気が済まなかった。
 食い入るように水面を睨みつける。
 数秒後にちゃぷ、という僅かな水音とともに水面に波紋が広がっていく。どちらも循環器によるものではない。
 その瞬間俺はゼリーに飛び込んでいた。
 少女が驚く声が聞こえた。声を出してくれたのはありがたい。その方向をしっかり認識する。
 見た目には本物の湖のように深く見えたゼリーの湖だったが、ある程度から下はゼリーと同じ色をした弾力のある透明な床で、飛び込んだときに思いっきり激突してしまった。
「痛っ……くもないな」
『なにをしているの?』
 本気で困惑している様子の声。だが哀れまれたって構わない。俺は既に、一つの答えを見つけつつあった。どうしてすぐこの可能性に思いつかなかったんだろう。ぶつけた額をさすりながらゆっくり立ち上がる。
 水の深さは120センチぐらいの子が入るのにちょうどいいぐらい。やはりアトラクションとして解放することを想定していたのだろう。それがまさかこんな風に住処となるなんて思いもしなかっただろうけど。
 少女は言ったのだ、ここにいるとわかるって。
 ばしゃばしゃとわざと波紋を立てながら歩く。
 俺の考えが正しければ、目の前にいるはずの女の子はきっと、

 幽霊なんかじゃ、無い。

『なにをしてるの?』
 ある場所までいくと、波紋が不自然な消え方をした。よく見るとそこだけ少し違和感がある。
 ここだ。
 俺はそう確信し、その場所へ向かって叫んだ。
「そこにいるんだろう? 俺はずっと前情報にだまされていた。君が幽霊だって言う前情報にな」
『わたしは幽霊。あってるよ』
「違うね!」
 勢いに任せて叫ぶ。さっきの少女の言葉で、それが事実じゃないってことに気付いたから、そして本人はそのことに気付いていないから、俺は叩き付けるように叫んだ。
「少なくとも俺の中では違う。だから俺は幽霊だなんて認めてやらない! 幽霊ってのは確かに見えないが、それだけじゃない。普通幽霊には、」
 俺は渾身の笑顔を浮かべて叫んだ。
「触れもし無いんだ!!」
 少女も俺の言わんとしたことが分かったようだ。息をのむ音が聞こえた。
 水の中に入ったらわかる「体」があるのなら。ゼリーの波紋がその「体」をよけて広がっていくのなら。この弾力のある床に足を着いて歩いているというのなら。
 この世にソリッドとして存在しているということになる。
 そんな確固たる質量を持った存在を幽霊っていえるだろうか。いや、言えない、俺の中では言わない。
『ほんとうに? わたしは幽霊じゃないの?』
 少女の声は、震えていた。
「多分な。約束は出来ない」
 はっきりと彼女が望むように否定してあげることは今の俺にはまだ出来なかった。どちらにしろ彼女が不思議な存在であることに変わりはない。目には見えないし、フィッツランド事件を、七年間をどうやって独りで生き抜いたのか皆目見当がつかない。
 それでも。
「一つだけ、確かなことがある」
「それは……?」
「試してみればわかるってことだ」
 少女がいるであろう場所に向かって、全力で手を伸ばした。
『怖くないの?』
 少女の声はやはりまだ震えていた。ある意味、俺は彼女がこの七年間で築いてきたアイデンティティを根底から否定しているのだから、当然なのかもしれなかった。
 そんなことをした男の責任の取り方は決まっている。
「一緒に行こう」
 怖いなんて考えは無かった。ただこの子をこの場所から引きずり出してやりたい。それだけだった
 戸惑うような息づかいと、湖の波紋だけが感じられる静寂の中。
 静かに。
 でも確かに。
 震えていて、でも暖かくて柔らかい何かが、俺の手に触れた。
 その瞬間。
 突然目の前が凄まじい光に包まれた。とても目を開けていられなくなり、全力で目をつぶった。
 そして——

 目を開けると、いつのまにか目の前には、裸の女の子が立っていた。

 女の子はきょとんとした表情で自分の腕を見ている。その手はどう見ても俺の手とつながれている。と、いうことは……。
「見えてる……」
 その言葉は、同時に俺たちの口から自然と漏れていた。
「わたしの体が、ある……!!」
 嬉しそうに自分の体をぺたぺた触るその女の子から聞こえる声は、間違いなくさっきまで聞こえてきていたのと同じ。さっきまでの透明少女で間違いないようだった。
 平均身長に少し足りない俺よりも30センチ以上は低い位置の視線と目が合う。吸い込まれそうな浅葱色の瞳。瞳だけでなく、七年間伸びっぱなしだったであろう長い髪もまた浅葱色。雪のように白い肌には湖のゼリーがまとわりついて不思議な色気を放っていた。不覚にもどきっとしてしまうほどに。
 だけど、表情は完全に小さい子どものそれだった。驚きと喜びでゆがめられたその可愛らしいほっぺたに、一筋、また一筋と涙が伝っていく。
 そして感極まったのか、そのまま俺に抱きついてきた。
「えっ、ちょっ」 
 子どもとはいえ裸の女の子に抱きつかれてテンパってしまう。だがそんな場違いな動揺は真っ赤な顔して大泣きしている女の子を見たらすぐに引っ込んでしまった。
「よかった……もとにもどれて……」
 少女の涙が俺のシャツを濡らしていく。もう既にゼリーまみれなので今更だったけど。
「さて、じゃあここから出ようか」
 いろんな意味でこの状況は俺の心によろしくない。
「ずっと人肌恋しかったからもうちょっとこのままがいい」
 どこで覚えたんだそんな言葉。
 とりあえず菊澤に連絡しようと携帯を取り出したが、ゼリー湖に飛び込んだおかげで完全に壊れていた。
 仕方ないのでそのまま抱き返すようしてに持ち上げて湖から上がり、自分のこーとを羽織らせた。もちろんそのコートもゼリーまみれだが何も無いよりはマシだろう。菊澤は後で呼びにいくとして、今は先にこの子に聞きたいことがある。俺は少女の方へ向き直った。
「さて改めて聞くぜ。君は誰なんだい?」
 さっき自分は幽霊だと言った女の子は、今度は天使のような満開の笑顔で答えてくれた。
「わたしは亜癒。施境亜癒」
 そしてその天使がもたらしてくれたのは——まさに福音だった。
 施境、亜癒。今年十二歳になるはずの女の子。十二歳にしては大分幼く見えるが、施境なんて名字はそうそういない。まず間違いなくこの子は、喫茶店AKIRAのマスター、施境彰さんの娘さんだ。勢い余って今度は俺から抱きしめてしまった。
「わ」
 どうしてこの子は透明人間になっていたのか。この不思議な髪の色はなんなのか。そんなことはどうでもよかった。フィッツランド事件の被害者が、彰さんの娘さんが生きていてくれたことが、ただただ嬉しかった。
 突然抱きつかれてびっくりしていた亜癒ちゃんも、まだ人肌恋しいのか、静かに抱き返してくれる。
 さっさと着替えないと二人とも風邪を引いてしまいそうだけど、今はしばらく、このままでいたかった。


5.

「佐倉、見つかっ……」
 戻ってきた菊澤は、裸コートの少女を抱きしめる俺を見て絶句した。
 俺もうかつだった。この光景だけ見たら誰だって誤解する。このままでいたいとか思っていた時点で誤解でも何でも無い気もしたが、とにかく言い訳しなければならないだろう。
「あの」
「いい! 皆まで言うな!」
 聞いてすらもらえないようだった。
「俺達は親友だ。俺はお前がどんな趣味を持っていようと否定はしない。たとえそれが倫理的に限りなくアウトでも、俺はお前を応援すると決めていた。今決めた」
「いやちょっと待」
「よかったよ。どんな経緯があったのか知らないが俺はお前を祝福しよう。結婚にはそれが必要だ」
 菊澤は肘に手を当ててスタイリッシュなポーズをとる。もはや彼の中ではそういうことに決まったらしい。
「菊澤、あのな、こっちを」
「見ない! 俺は見ないぞ、親友の恋人の裸を見るなどあってはならないことだからな。安心しろ佐倉。今この施設の中には誰も入れさせやしないさ、心行くまで楽しんでくれ」
 そして菊澤は出口まで走っていき、突然ぴたりと止まった。
「……幽霊なんていなかった。そう言うことだな?」
 その声には茶化した様子は一切無く。
 去っていく友人のその背中に、俺は自信を持って答えた。
「ああ!」
 最後にビッと親指を立てて菊澤は本当に出て行った。
 一部始終をぽかんと見ていた亜癒ちゃんが、首を可愛く傾げて聞いてきた。
「こいびと?」
 そんな顔をしないでもらいたい。誤解が誤解じゃなくなってしまう。マジで恋する五秒前に俺は顔をそらした。
「何でも無い。それより早いとこ着替えないとな」
 こんな格好じゃ菊澤じゃなくても誤解してしまう。
 とりあえず今は一刻も早く亜癒ちゃんを彰さんに会わせてあげたかった。
「俺達も行こうか」
 目的を果たした今、もうこんなところに用はない。俺達は出口に向かって——
「あれ?」
 おかしい。
 今さっき菊澤が走り去っていったはずの方向に、出口が無い。
 どころか、360度見回しても出口どころか、ゼリーの湖すらも無い。どころか、今の今まで抱きしめていたはずの亜癒ちゃんさえもいなかった。
 一体、なにが起こっている?
 一体なにが……いや、
 ここは、どこだ?

「よう」

 どくん、と心臓が跳ね上がるのを感じた。
 いきなり声をかけられたからではない。
 だって、その声には、あまりにも聞き覚えがあったから。
「父……さん?」
 声のした方に顔を向ける。
 そこには、お気に入りの帽子を目深にかぶり、懐中時計の鎖をポケットから垂らした、7年前と全く変わらない父の姿があった。
 亜癒ちゃんのように透明だったりもしない。
 間違いなく父さんだ。父さんがそこに立っていた。
 他の行方不明者もここにいるかもしれないとは思っていたが、そうか、父さんも、ここに。
「元気そうだな。母さんと舞は元気か?」
 父さんは何事も無かったかのようにいつも通りの口調で言う。
 知らない間にため息が漏れていた。ほっとしたのかあきれているのか、自分でもわからなかった。
「ああ、うん……元気だよ。父さんこそ、元気そうに見えるけど。どうしてたんだよ、今まで七年間もさ」
 俺の方も場違いなほどいつも通りの返事をしてしまった。
「まぁ色々あってな」
 その答えに少しいらっと来た。
 色々あってなだって? 舞も俺も母さんも、どれほど心配したことか。
 俺は苛立ちのままに、父親をふん捕まえて連れ帰ってやろうとずんずん歩いた。
「帰るよ、早く」
「桜花、それ以上近づくな!」
 父さんが焦った口調で言ったが今の俺は聞く耳などもたない。父の手を強引に掴む

——はずだったその手は、父の体をすり抜けた。

「え?」
 父は無表情で帽子をかぶり直して言った。
「まぁ、見ての通りだ。俺はまだ帰れない」
「な、」
 理解を超えた事態に思考も感情もぐちゃぐちゃになる。透けた? 物理的に?
「どういうことだよ!! 見ての通りって何なんだよ。なんで、なんで触れないんだ!?」
「落ち着け、お前らしくもない」
 父さんは帽子の鍔を摘んで壁に寄っかかった。
「桜花、お前は」
 その瞬間、今朝見た夢がフラッシュバックする。あれは過去の記憶。場所は公園じゃなく家だった。確かあれは『百万回生きた猫』を読んでくれた後だったか、父さんはこう言ったんだ。
『桜花、お前は……いや、まだ早いかな。こんな話は』
 だが今、父さんはその先を口にした。

「永遠に死にたくないって思うか」

 その質問は、あまりにも唐突で抽象的な問いだった。
 だけど、黙っているわけにもいかなかった。
「……20年程度しか生きていないのに、そんなのわかるわけない」
「そっか。まぁそうだよな。でも」
 その時父さんは初めて帽子を上げてまっすぐに俺を見た。
 俺には受け継がれなかった、切れ長で鋭い、でもどこか気怠そうな目。
「近々、決めなきゃ行けない時が来るかもな」
 俺には、その言葉の意味がさっぱり分からなかった。
 だが父さんは混乱した俺を尻目に、話は済んだとばかりに立ち去ろうとした。
「待って!」
 俺はだだっ子のように引き止める。
「全然わからない! どういうことなんだよ!」
「お前はもう関ってるみたいだからな。……ああ、あの扇子を手放すなよ。じゃあな」
 そういうと、そのまま速度を緩めること無く歩き去り、
「待っ……」
 最初から存在しなかったかのように姿を消した。
 いや、そうじゃなかったのかもしれない。
「おうか、どうしたの?」
 気がつくとそこは元いたゼリー湖の近くだった。亜癒ちゃんもいる。出口もある。
 今のは、白昼夢か……?
 冬だというのに、体中に冷や汗をかいて
 馬鹿みたいだ。



 カラン、とCLOSEDの扉を開ける。
「すみません今日はもう……」
 そこまで言って彰さんは動きを止めた。
「亜癒……!?」
 亜癒ちゃんは無言で彰さんの腕の中に飛び込んだ。
 俺はそっとその場を去った。

 邪魔をしたくなかった以上に、その場にいるのは辛かった。
 純粋な喜びに満ちた空間は今の俺にはまぶしすぎた。
 頭の中には、二つの光景がぐるぐると巡っていた。
 透明だったけど、確かに掴めたあの手。
 確かに見えたけど、掴めなかったあの手。


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Author:黒ザトー
小説『Dusk』ゆるりと更新中
並びにボイスドラマ企画『Dusk ep0 ゆめのせかい』
企画中


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