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Dusk 第一章リテイク

これを一応決定稿とし、以降細部の修正くらいは行うにしても基本は続きを書く事に専念します。
11/18 修正






1.


 缶コーヒーを飲みながら佐倉桜花は海を眺めていた。
 桜花は海岸のベンチで一人考え事をするのが好きだ。特に冬は冷たい風が思考をシャープにしてくれる。そこに甘い缶コーヒーが加われば、桜花にとって最高の環境の完成だった。
「ああーっ!」
 無粋な叫び声に最高の環境は一瞬にして崩れ去った。
「お兄ちゃんまたこんなところで甘党宣言飲んでる! 甘党宣言は一日二本までって言ってるのに!」
 簡素な木製机には既に5本の空き缶が転がっている。
「なんなのお兄ちゃん。死にたいの? 糖尿病で早死にしたいの?」
「舞。甘党宣言はただ甘いだけじゃない。上品な甘みの中にほのかな塩味。それにキャラメルの香ばしさが加わり、最強に——」
「誰も甘党宣言の魅力を語れなんていってない! 飲み過ぎだって言ってるんだよ!」
 舞は兄の手から缶を奪い取ると一気に飲み干した。
「……まだ二口しか飲んでなかったのに」
「五本と二口なら十分でしょ」
 桜花は空き缶を袋に入れ、立ち上がった。
「悪かったよ。今週は一日一本で我慢する」
「今週って……。あと二日だけじゃん。どこまでジャンキーなの」
 自動販売機横のゴミ箱に缶を捨てている桜花に、舞は心配そうな目を向けた。
「また悪い夢でも見たの?」
 桜花は一瞬びくっと肩をふるわせた。それが寒さのせいでない事がわからない舞ではない。
「やっぱり。でも自棄甘党宣言はやめなよ。今日私こっち泊まって行くし。添い寝くらいならしてあげるからさ」
「……ばかいえ」
 海岸を抜けてアスファルトの道に差し掛かった桜花が、不意に振り返った。
「どうかした?」
「今、何か聞こえなかったか? 耳元で」
 きょとんとした顔で見つめ返す舞を見て桜花はそれ以上追及せず、ただ一言ぽつりと呟いた。
「『見つけた』……?」



 2.


「寝すぎたか……」
 見慣れた天井。一人暮らしをしているワンルームマンションで目を覚ましたときには既に午後三時を回っていた。朝が弱い桜花にしてもここまでの寝坊は珍しい。最も今日は特に何の用事もなかったが。
 昨日結局泊まっていった舞の姿も既にない。
「そうか高校生はまだ学校か……」
 布団から起き上がると机の上に書き置きを見つけた。
『冷蔵庫のプリンはもらった 妹』
「あいつ……」
 一気に目が覚めた。

 当ても無く電車に乗った桜花の足は、数ヶ月ぶりに馴染みの喫茶店に向いていた。レンガ作りの二階建てに木製の扉と、『喫茶アキラ』と書かれた簡易な看板が昭和を感じさせる。
「甘党宣言じゃないからノーカウント……」
 自分に言い聞かせるように呟いてから桜花は扉を開いた。
「いらっしゃいませ。お、佐倉くん。久しぶりだね。大学はもう冬休みかい?」
「ええ」
 レトロな黒ぶち眼鏡をかけた温和な顔つきの男性が桜花を出迎える。彼はこの喫茶店のマスターの施境彰。桜花とはもう長い付き合いになる。
「いつもので?」
「はい」
 カウンター席の右端に腰掛ける。ホットキャラメルコーヒーが飲めるのは近所でこの店だけだ。桜花は純粋に喫茶店としてもこの店が気に入っていた。ただ場所が悪いのか入り辛い店構えなのか、常連客以外はあまり来ない。今は午後の営業開始直後ということもあり、他に人の姿はなかった。
「舞ちゃんもお元気かな?」
「元気に女子高生やってますよ。あそうだ、プリンもお願いします」
「オーケー。もう女子高生か。早いものだね、あれから七年になるかな」
 桜花は少し苦い顔で頷いた。
「結局何もわからないまま……ですね」
「仕方が無いのかも知れない。あの事件はあまりにも現実離れしすぎてる。世間ではハーメルン事件なんて呼ばれてるそうじゃないか」
 その呼び名は桜花も知っていた。ハーメルンの笛吹き男は自分を騙した者たちへの報復として、130人もの子ども達をどこかに連れて去ったという。その伝説との類似性からついた呼称だろうが、規模は段違いだ。
 あの日、出来たばかりの遊園地で1500人が姿を消した。
 ハーメルン事件、あるいは遊園地の名前そのままにフィッツジェラルドランドの悲劇などとも呼ばれている。
 国内最大級のテーマパーク、その目玉のサーカスの最初の開演で悲劇は起こった。
 突然サーカスハウスが炎に包まれ、ものの1分で完全に燃え尽きてしまったのだ。
「あの規模のサーカスハウスが全焼するには速すぎる。まして焼け跡から死体は一つも発見されていないとなると、どうにも常識では扱いきれないよ」
 そう、この事件は常識を超えていた。燃え尽きたはずのサーカスハウスの焼け跡からは誰一人の遺体も発見されず、まるでサーカスハウスなど最初から存在しなかったかのように何も残らなかった。当時のメディアも理解不能な悲劇として取り上げ、現在に至るまで謎の事件として認識されている。
 だがそれでも7年。今や単発の特集や、毎年の事件の日ぐらいにしか聞きはしなくなった。
 桜花はコートの中の扇子を取り出してみる。桜花の父、佐倉紅郎がいつも持っていた物だ。
「舞ちゃんはそれを持ってたんだったね。もしかしたらその扇子が守ってくれたのかな」
「……どうでしょう。笛吹き男の伝説と同じで、ただ置いていかれただけなのかも」
 唯一あの事件から戻ってきたのが、舞だった。
 燃え尽きたサーカスの近くで、この扇子を胸に抱いた状態で意識を失っていたという。外傷は無く、事件の記憶もほとんど無いらしい。病室で起き上がるなり、父からの伝言だといって桜花にこれを手渡した。以来、桜花は肌身離さず持ち歩いている。
「僕はね、佐倉くん。何もわからないって言うのは、逆に希望でもあると思うんだ。いつか娘はひょっこり帰ってくるかも知れない。そう、思っていられるから」
 白髪まじりの頭を軽くかきながら彰は寂しげに微笑んだ。



 3.


 冬、それも二月の海に来る物好きはそう多くない。今日も見渡す限り一人もいなかった。
「一体何をやってるんだか……」
 時刻は17時手前。日が微かに傾いてきている。
 昨日よりも遥かに強く情けなさを感じながら、だだ寒い砂浜を歩く。
 彰との会話で色々と思い出してしまった。それだけではない。彼を通して自分の矮小さをまざまざと見せつけられたようで、少し頭を冷やす時間が欲しかった。
「昼も食べ忘れたし……。ナポリタンでも注文すれば良かった」
 いつものようにベンチに腰掛け、甘党宣言の缶を取り出す。
「ん?」
 そこには既に先客がいた。
 見慣れた簡易な木製机の上に、白黒の猫のぬいぐるみが鎮座しているのだ。
 昨日から今日の間に、だれかが来て置き忘れていったのだろうか。だとしたら交番にでも届けてやった方がいいだろうか。そう考えてぬいぐるみに手を伸ばした。

 その瞬間ぬいぐるみが突然立ち上がった。

「——!?」
 反射的に手を引っ込める。
 唖然とした顔の桜花にぬいぐるみは一礼して、
「来てくれたんだ」
 と嬉しそうに言った。

 そうか、最近のぬいぐるみは動いて喋るのか。
 冷えた胸に手を添えながら桜花は思った。ベルトが喋る事は知っていたが、これはもう最新介護ロボットも顔負けではないか。
「昨日のおにいさんでしょ?」
 その言葉で昨日の記憶がよみがえる。
 「見つけた」という声。誰もいないはずのところで聞いた少女の声。言われてみれば確かにこのぬいぐるみも同じ声に聞こえる。ということは最新鋭とかそういう問題ではないということに——
 なんだ、このぬいぐるみは。
 桜花は甘党宣言を飲もうとして歯に思い切りぶつけた。どころか栓すらあけていない。
「だいじょうぶ?」
 ぬいぐるみが心配そうに声をかけた。
「………」
 桜花は一瞬ぽかんとした後、
「………ふっ」
 堪えきれなくなったように吹き出し、やがて大声で笑いだした。
「ど、どうしたの?」
「いやごめん、『今俺ぬいぐるみに心配されてる!』って思ったらちょっと」
「むっ」
 思わぬ珍客の登場で一時動揺したが、気付くと逆に何かが吹っ切れたように心が軽くなっているのに桜花は気付いた。
 ぬいぐるみと会話して安らぐなど、まるで恋する乙女だ。それともこれがぬいぐるみの持つ力なのだろうか。真剣にぬいぐるみの購入すら考え始めている自分に気付き苦笑する。血迷っている自覚はあったが、ここまでとは。しかしならばとことん血迷ってしまおうと桜花は開き直った。
「せっかくだからちょっと話し相手になってくれないかな」
「いいよ」
 気前のいいぬいぐるみだ。桜花は今度こそきちんと栓を開けた甘党宣言を傾けながら語り始めた。
「よく、悪い夢を見るんだ。それでだいぶ参っててね」
「どんな夢?」
「炎の夢。目の前で大きなサーカスが燃えていて、その中には父さんと妹がいるんだ。でも俺がいくら頑張って走っても、間に合わずにサーカスは燃え尽きる。同じ夢を何度も何度も繰り返し見るんだ」
「それ、本当にあったこと?」
「ああ。遊園地の大火事。1500人くらいが行方不明のままだ。妹は運良く戻ってきたけど、父さんはずっと行方不明。だけど……」
「だけど?」
「最近、よくわからなくなってきたんだ。俺が悲しんでるのか」
 桜花の口元には、無意識に自嘲めいた笑みが浮かんでいた。
「あれから七年経って、小学生から大学生になったし、一人暮らしも初めた。父さんのいない生活が当たり前になってる。まだ父さんは生きてるかも知れないっていうのに俺は心のどこかで、父さんをもういないものとして考えてる。マスターは娘さんが帰ってくる希望をしっかりと持ち続けているって言うのに」
「かなしくないのがかなしいの?」
「そうかもしれない」
「やっぱりわたしと似てるね」
「似てる?」
 桜花は顔を上げてぬいぐるみを見る。ぬいぐるみはゆるりと手を振った。
「わたしも突然ひとりぼっちになって、すごくさびしかった。まわり中真っ黒けで、だれか助けにこないかなって待ってたけど、くるのはライトふりまわしながら怖い声でおこってるおじさんだけだったし、だれもわたしを見つけられなかった。でもあたりまえだった。わたしにもわたしが見えなくなってたから」
 ぬいぐるみの胴体が不自然に歪む。
「怖い人たちがこなくなってから、だれかいないか探したけど、見つけたのはこの子だけだった」
 この子とは、ぬいぐるみをさしているのだろうか。だとしたらこの声は——。桜花は逸る気持ちを抑えて少女の言葉を待った。
「それから家に帰ろうとおもったけど、でんしゃで来たからどこだかわからなかった。だから、甘い香りのするプールでおよいでた。ずっと。
 それで、大きい音がして目がさめた。きづいたらプールの水はほとんどなくなってたし、甘い香りもしなくなってた。寒いのかあついのかもわからないし、おなかもへってなかった。なにもわからない、からっぽだったの。このままじゃ溶けてなくなっちゃうと思って、あわててとびだしてきたんだ。そしたらここでおにいさんを見つけたの」
 ぬいぐるみは桜花を指差した。
「わたしと同じ感じがした。あの怖い人たちとは違うって思った。だから話しかけたの」
 桜花は、ある確信を持ってぬいぐるみに、いや、そこにいるはずの声の主問いかけた。
「君は、誰なんだ?」
 ぬいぐるみは操り糸が切れたようにぱったりと倒れた。
「わたしは幽霊」
 代わりに虚空がそう答えた。


「ゆう……れい?」
「うん、幽霊」
 幽霊。つまり目の前のこの少女は、死者だと名乗ったのだ。
 桜花は考える。
 今までの話からこの少女がハーメルン事件の被害者であることはほぼ間違いない。周り中真っ黒なのは焼け跡で、怖いおじさんというのは必死に生存者を捜していた人たちだろうし、なにより甘い香りのするプールなんてものはフィッツジェラルドランドのフルーツパラダイスしか考えられない。サーカスに隣接していたため、現在はエリアごと閉鎖している。
「そうなんだ……」
 やはりあの事件の被害者は、命を落としていたのか。
 桜花は力が抜けていくのを感じた。安堵にも似た不思議な感覚。
「怖がらないの?」
「君をかい? まさか。むしろ会えて嬉しいよ」
 自分でも不思議なほど穏やかな気持ちで微笑みながら桜花は倒れているぬいぐるみの頭をなでた。
 七年。
 夜に泣いた日もあった。星に祈った日もあった。悪夢に悩まされ続けた。
 でももう終わりだ。
「……泣いてるの?」
 言われて気付く。桜花の右目から一筋だけ涙が流れていた。ただ単に潮風がしみたのかも知れない。だが、桜花にはそれが悲しみ納めの涙だったような気がした。
 ——ああ、そうか。
 そして桜花は気付いた。とてもシンプルだ。
「俺はちゃんと、悲しかったんだ」
 悲しくない事が悲しいのだって、結局悲しいのに変わりはない。終わってから気付くとはよく言ったものだ。つまりあの事件を忘れまいとする強い気持ちが、悪夢や悩みの原因だったのだ。
 ぬいぐるみが再び立ち上がって、桜花の手を掴む。
 どうやら、慰めてくれているらしい。本当にいい子なのだな、と思った。
「——!!」
「ど、どうしたの?」
 突然表情を変えた桜花に少女が驚く。
「ねぇ」
 ぬいぐるみの腹や腕が、まるで手で持っているかのようにへこんでいる。
 当たり前だ。目の前にいるのは動くぬいぐるみではなく少女なのだから。
「当たり前……?」
 それは、幽霊としても当たり前か?

 ——まだ何の結論も出ていない。

 諦観にも似た気持ちは吹き飛び、再び思考が蜘蛛の糸のように広がるのを感じた。
「幽霊って何だ?」
 他ならぬ幽霊を名乗る少女に向けて問う。
「自分でわかるものなのか?」
 少女は何を以て自身を幽霊と判断したのか。桜花の疑問はそこにあった。
「からだがなくなったもの。それに空っぽなの。さむくもないし、お腹もへらない。そういうの、幽霊っていうんでしょ?」
 確かに少女は見えない。どころか、七年間どうやって生きてきたのか皆目見当もつかない。
 だが、確かに存在している。
 少女は桜花と会話をしている。そしてぬいぐるみを抱いている。
 それが幽霊だというのなら。他の被害者達もその”幽霊”として存在してくれているのだとしたら?
 それは桜花の中で「死んでいる」ことにはならない。
「たとえ幽霊だとしても、君が今ここにいてくれることが俺にとってどれだけ救いか。こんなこと言ってもわからないと思うけど」
「うん、よくわかんない。でもわたしを怖がってないっていうのは、わかった」
 ぬいぐるみを手放した今、どこにいるのかはっきりしない少女に。
「一緒に来てくれないか、俺と」
 精一杯の想いを込めて、手を差し出した。
 虚空から驚きの声が聞こえる。
 そう、桜花はもはやその可能性を試さずにはいられなかった。
 もし、触ることが出来てしまったとしたら、どうなる?
 それでもまだ、目の前の少女は幽霊か?
「……いいの? 幽霊にさわったら幽霊になっちゃうかもしれないよ」
 なるほど、それも一つの可能性だ。異界の物に触れたら引きずり込まれるといった話は古今東西溢れている。だが、桜花は目を閉じて柔らかく微笑んだ。
「それもいい」
 その程度のリスクで、今目の前にある希望を見逃したくなかった。
 ぬいぐるみが宙に浮かぶ。
 対面から、隣へ。
 そしてとてもか弱い力が、桜花の袖を掴んだ。
「……服つかんだってしょうがないだろ」
 苦笑して立ち上がると、桜花はぬいぐるみが浮かんでいるあたりの空間を思い切り抱きしめた。
「わっ」
 声だけではない。そこに何かがあるのをはっきりと感じる。
 不思議な感覚だった。
 触れた瞬間は冷たかったそれに、まるで血が通っていくように、触れたところから全体に温もりが広がっていくのがわかる。
 しばらくして指先から感じる感触は、完全に人肌のそれだった。

 ——気がつくと桜花の腕の中には、裸の少女がおさまっていた。

「あれ……?」
 少女と桜花が同時に呟く。目の前の光景が、奇跡が、信じられなかった。
 美しい浅葱色をした髪をした少女は、同じく浅葱色をした目を潤ませてぬいぐるみを抱く自分の腕を見つめていた。
「見えてる……!」
 桜花は自分より頭一つ以上背の低い少女に合わせて膝をつき、そのまま衝動的にもう一度抱きしめた。
「わっ」
 小さい身体から、今度はしっかり体温と鼓動が伝わってくる。
「見えるし、触れる。幽霊ならこうはいかない」
「ほんとだ」
 抱擁から解放された少女は、照れくさそうに微笑んだ。
「わたし幽霊じゃなかったみたい」
 その笑みはまるで天使のようで。
 桜花も満面の笑みでそれに答えた。
「あらためて聞くぜ。君は誰なんだ?」
「あゆ。せざかいあゆ」
 それはまさしく福音だった。
 施境亜癒。それは当時五歳で行方不明になり、今年で十二歳になるはずの、喫茶店のマスター施境彰の娘の名前。
「俺は桜花。佐倉桜花」
「きれいな名前。桜花って呼んでいい?」
「もちろん。よろしく、亜癒ちゃん」
 そのとき冷たい風が吹き抜けた。
 少女はくしゅんっ、と可愛らしくくしゃみをした。そしてきょとんとした後、七年ぶりの感覚を思い出した。
「ここ、さむいね」
 細い裸身を寒さで縮こまらせる少女に自分のコートを着せながら、桜花は今更少女の裸体を凝視していたことに気付いて赤面した。
 裸を隠そうともしない幼さとは裏腹に、小柄だが体つきは歳相応だったのだ。



 海を離れて近くの服屋に行き、とりあえず一式買いそろえた。裸コートで少女を店に入れるのは抵抗があったが、特に何事もなく済んだ。
「桜花、おなかへった」
 天使のような上目遣いで訴える亜癒に、桜花は優しく微笑み返した。
「よし、じゃあ今から食べにいこう。多分世界で一番美味しいところに」
「ほんと!?」
 もちろん桜花は、このまままっすぐ喫茶アキラに向かうつもりだった。今は一刻も早く親子を再会させたかった。
 最寄り駅から電車に乗る。喫茶アキラの最寄り駅までは二十分ほど。
 この距離は、電車の乗り方も知らない五歳の少女にとってどれだけ途方も無かったことだろう。
 がら空きの車両で、二人は寄り添うように座った。
「見えるようになっただけじゃなくて、もっといろいろもどってきた気がする。さむいとか、おなかへったとか、いろいろ。なんか、人間に戻ったって思った」
 亜癒はぎゅっと桜花の腕にしがみついた。白黒猫のぬいぐるみは、今は亜癒の隣に座っている。
「でてきてよかった。桜花にあえてよかった」
 封鎖された遊園地の中で、彼女は今までどうやって生き延びてきたのだろう。
 桜花には想像する事すら適わなかった。ただ黙って少女の頭を優しくなでた。
 少女は猫のように目を細め、されるがままに身を委ねていた。

 電車を降りて改札を出る。ここから徒歩で数分。扉を開けたら彰は一体どんな顔をするのだろう。緊張で腕が震えるのを感じた。
 駅を出る。月明かりも見えない真っ暗闇な空。
「真っ、暗……?」
 その時初めて、桜花は違和感に気付いた。
 まだ夕方のはずだ。仮に夜だとしても街灯の光すらないはずは無い。
 振り返る。
 ——無い。
 でてきたはずの駅が無い。
 それどころか、隣を歩いていたはずの亜癒も居ない。
 どういうことだ、ここはどこだ。
 焦りが桜花の胸中を満たす。
 一体何が起きているというのか。

 こつ…… こつ……

 静寂に支配されていた空間に小さな音が響いた。足音だろうか。耳を澄ます。

 こつ…… こつ……

 音は徐々に近づいてくる。
 そして暗闇の中に、何かの影が浮かび上がってきた。
 徐々に鮮明に。
 男だ。
 帽子を目深にかぶっている。
「まさか——」
 全身の汗腺が開く。
 心臓が狂ったように鼓動を早める。
 まさか。その姿はあまりにも。
 あの頃のままの——
「桜花」
 その少しくぐもった声。桜花の記憶と少しも変わっていない。
「……父さん?」
 その声はどうしようもなく震えてた。
「久しぶりだな。元気にしてるか?」
 帽子を軽く持ち上げる。その顔は間違いなく父、佐倉紅郎その人だった。
 あまりのことにしばらく言葉が出てこない。
 それほどまでに目の前の出来事が信じられなかった。
 父が、帰ってきた。
「母さんや舞も元気かな」
 軽い出張から帰ってきたような声で言う。
「ああ、うん……元気だよ。父さんこそ、元気そうに見えるけど。どうしてたんだよ、今まで七年間もさ」
 桜花も、つられて日常会話のように答えた。
「色々あってな」
 そう言うと紅郎はあろうことか背中を向けた。
「みんなによろしく言っておいてくれ」
 桜花は父が何を言ってるのかわからなかった。
「——ちょっと待ってよ! どう言う事だよ。帰るの? 帰ってきたんじゃないの!?」
「父さんはまだ帰れない」
 カッと頭に血が上る。
 この馬鹿親父は何を言ってるんだ。
 七年間もどっかへ言ってて帰ってきたと思ったらまた消えるだと?
 桜花は衝動のままに父親に駆け寄った。
「よせ、来るな!」
 もはや聞く耳などもたない。
 そのまま摑み掛かり、

 ——その手は紅郎の体をすり抜けた。

「は——、」 
「こういう事だから、まだ帰れない」
 頭が真っ白になる。
 何も理解できない。
「全然わからない! どう言う事なんだよ!」
 希望があった。ついさっきまで。あの事件の被害者は生きてると。父も帰ってきてくれたのだと。
 だがそこにあるのは全てを裏切る現実でしかなかった。
「なぁ桜花。お前さ」
 紅郎の姿が薄くなっていく。それだけではない。周りの景色も元に戻っていく。
「永遠に死にたくないって思うか」
「何言ってんだよ! 待って! 父さん、待っ——」
 必死に手を伸ばすが、父の姿はどんどん薄れていき、
「決めておけ。何を守りたいのか」
 その言葉を最後に、桜花は完全に元の駅前に戻されていた。
 赤くなり始めた空が、それを一瞬でわからせる。
 息が荒い。全身汗だくで、悪夢から覚めた時のようだった。もう見なくて済むはずだった悪夢が、目の前で再現されたようで——
「桜花、桜花だいじょうぶ!?」
 亜癒が心配そうに桜花に駆け寄る。桜花はかろうじて頷いた。
「大丈夫……行こう」
 その足取りは、明らかに弱まっていた。


「いらっしゃいませ。おや桜花くん。それに……」
 彰の表情が固まる。
 秒針が百回動くほどの沈黙が流れた。
「……亜癒……なのか?」
 その言葉を待っていたように亜癒が勢いよく彰に飛びつく。
 その光景を見届けて、桜花はひっそりと喫茶店を後にした。
 
 頭の中では二つの光景が繰り返しオーバーラップされる。
 見えなかったのに掴めた手。
 見えたのに掴めなかった手。
 その二つの差を、まざまざと見せつけられているようで、 今の桜花には眩しすぎた。


 ふらふらと町を彷徨い歩く。目的も何も無い。ただ喫茶店からはなれただけだ。十分以上かけて徒歩二分の公園にたどり着くと、桜花は力尽きたようにベンチに座り込んだ。
 冬の冷たい風が容赦なく体を冷やし、陽は灰色の夕闇へと堕ちてゆく。
 なんだ。なんだったんだあの光景は。全てが好転し始めたと思っていた。七年前の被害者達は次々に戻ってきてくれる。もちろん父親も。亜癒を抱きしめたとき、桜花はそんな都合のいい未来を今こそ心から信じられたはずだった。
 だというのにさっきのあれはなんだというのだろう。白昼夢などでは無いことは誰よりも桜花自身がわかっていた。

「——佐倉桜花、だな?」

  見知らぬ男の声。ぞんざいに目を向けると、サングラスをかけた黒コートの男が、桜花を見ていた。年齢は読み取れないが、長い髪は灰色に染まっている。どちらにしろ知らない顔だ。桜花は再び視線を落とした。明らかな不審者を前にしてその場を去ろうとも思わないほどに桜花の心は鈍っているようだった。
「ハーメルン事件」
 だがその言葉に、ぴくりと桜花の肩が動く。
「君はその真実の一端を垣間見たのではないのか?」
 桜花も一瞬前まではそう思っていた。だが今は、再びすべてがどこかへ飛んでいってしまった。
「放っておいてくれ。誰だか知らないけど、あの事件の事で話せる事は無い」
「君ならば我々の力になってくれると思っていたのだが。生還者佐倉舞の兄にして、フィッツジェラルドランド創設者佐倉紅郎の息子」
「黙れ」
 自分でも驚くほどの冷たい声が響いた。自分を知られている事よりも、誰も知らないはずのその情報を知られている事よりも、父の名前を出されたことが、桜花の心を掻き乱していた。
「希望なんてどこにも無かった。あの事件は解決しない」
 吐き捨てるように呟く。
「それはどうかな? ならあの子は何だ?」
「あの子……?」
 嫌な予感がして振り返る。
 案の定、そこには桜花の元へ駆け寄ってくる亜癒の姿があった。
 男がサングラスを外す。
 その瞳は深紅。禍々しく輝くその目は、射殺すような眼光と合わさりこの世のものとは思えぬ異常さを孕んでいた。
 ギロリ、とその目が真っ直ぐに亜癒を捕らえる。口元には、にやりと笑みが浮かんでいた。
 桜花は本能的に理解した。こいつ、普通じゃない。
「桜花、パパが桜花にお礼したいって、」
「よせ、来るな!」
 奇しくもそのとき桜花が口にした言葉は父親と同じだった。
「希望が無いというのなら、その子は君にとってなんでもないのだろう?」
 突然何かが地中からとびだした。
 それは腕。マネキンのように生白い腕がいくつも飛び出し、亜癒の四肢に絡み付いた。
「うっ……なに、これ!」
 亜癒は抜けだろうと体をよじるが、磔にされたように全く動けない。
「亜癒ちゃん!」
 赤い眼をさらに鋭く細め、男は嘲るように笑った。
「ならばその少女、我々が貰い受けても構わないな?」
「ッ……駄目だ!」
 何一つ心の整理が追いつかないまま桜花は亜癒に駆け寄った。亜癒の体からマネキンの指を引きはがそうとする。だが、びくともしない。
「矛盾しているな佐倉桜花。君は絶望していたのではなかったのか? もはや希望など無いと嘆いていたのではなかったのか? 言動と行動がチグハグでは無いか」
「……違う」
 父親との予期せぬ邂逅。亜癒という希望からの絶望。その落差が、桜花を失意の底にたたき落とした。
 だからと言って亜癒を失う事を自分に見過ごせるはずなど無い。
 希望はなくとも、目の前で誰かを失う絶望を回避したいだけ——

 本当にそうなのか?

 ふと桜花の心に疑問が生じた。
 本当に自分の心にもう希望はないのか?
 そのはずだ。
 ——それなら父はわざわざ絶望を与えるために姿を現したのか?
「…………」
 父は特別誠実な人間ではない。駄目人間と言っても良い。だが、好んで人をおとしめるような悪人でもまた無い。普通の、桜花にとっては大切な父親だった。
 桜花はコートの中の扇子を握りしめた。
 なんという馬鹿だ。この手に取り戻す事が出来た亜癒を見ていたせいで、触れられなかった父との再会を絶望だと思い込んでしまった。
 あれが絶望であるはずがない。
 触れなかったかも知れない。もうこの世の者ではないのかも知れない。二度とあえないのかも知れない。
 ——でも、もう一度会えた事に変わりはないというのに。
 体に力がみなぎってくる。
 思い出せ。父は去り際に何と言っていた?

『決めておけ。何を守りたいのか』

 一瞬だけ姿を現した父が去り際に残した言葉。きっとそれこそが父が伝えようとした言葉ではなかったのか。
 そして七年前、病室で舞から受け取った、佐倉家に伝わる『陰陽桜』という扇子。それらは確かに、希望では無いのか。
 守りたいものならある。
 今、目の前に。
 桜花は勢い良く陰陽桜を抜き放ち、灰色の男に突きつけた。
「この子を渡すわけにはいかない。解放しろ」
「その扇子で、どうしようというのかな?」
 陰陽桜。それは恐らく舞を生還させた鍵。だが桜花は今もってその秘密を解き明かす事は出来ていなかった。
 だが、それでも父から受け取った希望なのだ。
「目の前のものを、守る」
 そのための勇気を得るために、桜花は今一度陰陽桜を握りしめた。
 ——その瞬間、陰陽桜が桜色に淡く輝いた。
 その輝きは粒子のように立ち上り、やがて花びらとなって空に咲き誇った。
 真冬に咲き誇った花びらは突如巻き起こった旋風の中で桜吹雪となり、その中心に立つ桜花の手の中で陰陽桜は一際強い光を放つと、一振りの日本刀へと姿を変えた。
「ほう……」
 男は現実離れした美しい光景に、感嘆の吐息をもらした。
「やはり、ただの扇子でないか」
「そんなことはどうでもいい」
 桜花は真っ直ぐに刀を突きつけた。
「放さなければ、斬る」
 だが男は、丸腰の両手を広げ、わずかに笑みを深めただけだった。
 桜花は理解していた。相手もまた普通の人間ではないと。この余裕、おそらく桜花の攻撃は通用しない。だが、たとえ無駄でも、亜癒を解放させるためにはこの男に立ち向かうしかない。
 一瞬で距離を詰め、刀を振り下ろした。
 だがあろうことか男は、素手で刃を受け止めてみせた。
 いや、よく見ると素手ではない。そこには、ボールペンが握られていた。
「ククク……素晴らしい」
 男が手を天に掲げる。禍々しい赤い光が放たれ、ボールペンは瞬く間に死神の大鎌へと姿を変えた。
「同じ力だと——?」
「そう。いわば我々は同志だ」
「何……?」
 男が指を鳴らす。
 すると視界の端で亜癒に絡み付いていた腕がただのマネキンに戻ったように地面に転がった。
 このタイミングで、男は人質である亜癒を解放したのだ。
「——どういうことだ?」
 妙にあっさりとした対応に警戒しながらも、相手が要求をのんだのを認め刀をおろす。
「君の力、そして覚悟。存分に見せてもらった」
 男は赤い眼を細めて邪悪に微笑む。
「君はやはり希望を捨ててなどいない。そして心の底では誰よりも強くハーメルン事件の解決を望んでいる。そのために常識はずれの力を躊躇無く解放してみせた。その想いが、自らを幽霊と称し孤独を彷徨っていたその少女を真に救い出した」
 解放された亜癒を指差す。
「その行動力、強い意志。やはり私の目に狂いは無かった」
 そして何を思ったのか、武器をその場に捨てると、桜花に手を差し出した。
 まるで握手を求めるように。
「私とともに来ないか。あの忌まわしい事件の真実を解き明かし、全てを取り戻そう」
 ——そうか。
 桜花はその瞬間全てが腑に落ちた
 この男は最初から自分を襲いにきたわけではない。
 試したのだ。自分に真実を追う覚悟があるのかを。
 桜花は、男の顔を真っ直ぐに見返す。そして確信する。
 あの事件への深い執着を、この男も持っているのだと。

 ——桜花は自然と男の手を取っていた。

 男は、満足げに微笑んだ。
 自分でも驚くほど、桜花の中に迷いは無かった。
 悪魔との契約。そんな言葉が脳裏をよぎる。自分は何故、この男の誘いを素直に受けたのか。
 男に自分と似たものを感じたからか。何故か信頼出来ると思えたからか。
 違う。七年頭を悩ませたその理由は、今はもうわかっていた。
「お前の言う通りだ。俺はどうしても真実が知りたいらしい」
 ——どうにも常識では扱いきれないよ。
 彰の言葉を思い出す。舞はおそらくこの扇の中に眠る力で助かった。第二の生還者となった亜癒もまた、常識を超えた現象を伴って現れた。そしてこの男も。
 ハーメルン事件の真実はきっと常識を超えたその先にしかない。ならば今この男の手を掴む事こそが、真実に至るに近い道だという確信。それが理由だった。
「やはり君は、期待通り最高の人材だ」
「まだ、そっちの名前を聞いていない」
「私は板堂聖派。そして真実を求める集いのリーダーでもある」
 いつの間にか隣にいた亜癒も、桜花と板堂の手の上に、そっと手を重ねた。
「ようこそ、『Dusk』へ」
 男は一際邪悪に嗤った。




「ついに動き出した!」
 少年が歓びの声を上げた。色々な絵の具が溶けた水の様に、複雑に混ざり合った混沌とした空。その空からの光が降り注ぐ小さな部屋に彼らは居た。
「喜べみんな。七年の沈黙は今破られた。この先には最高の幸せが待っているよ」
 少年は高らかに宣言した。
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Author:黒ザトー
小説『Dusk』ゆるりと更新中
並びにボイスドラマ企画『Dusk ep0 ゆめのせかい』
企画中


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