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Dusk 第3章「ハル」

2016/2/18更新






3.


「フィッツジェラルド……」
 女顔ながら凛とした顔立ちの青年——佐倉桜花の大きな瞳が子供のように驚きで見開かれた。
「そう。あなたなら当然知ってますね?」
「もちろん」
 おそらく知っているどころの騒ぎではないだろう。その証拠に、桜花の口元にこんどはゆっくりと笑みが広がっていく。ハルも笑顔を返した。
「今日は、ただの顔見せだから。これで帰りますね」
 そういってハルはバイクにまたがって反転する。
「来週が楽しみになったよ」
 去り際に聞こえた声に、抑えきれない昂揚の色を確かに感じた。

「あの人が、佐倉教授の息子……」
 うるさいくらいに張り裂けそうな鼓動の高鳴りを感じる。
 まるで恋する乙女になったような錯覚。
 この出会いを与えてくれた板堂に感謝しなくては。
 降り始めた雪が春の体にまとわりつく。
 だが今のハルには、身を切る冷気すらも心地いい。






 翌日、昼のライブを終えたハルはDuskの根城である鼠色の建物に帰ってきていた。まだ雪が残る階段を危なげなく駆け上がり、扉を軽快にはね開けた。
「やっほー! おはようヴァン!」
 先にいた板堂にぴょんぴょん飛び跳ねながら挨拶するハル。板堂は挨拶代わりに手を振り返しながらも目をむけようとしない。へそだしシャツ姿で飛び跳ねるハルは目に毒なのだろう。ハルから言わせれば動けば揺れるのはどうしようもないので気にしないでほしいところだが、そうもいかないのだろうか。
「その様子、佐倉桜花に会ってきたのか」
 目を逸らしたまま板堂は問いかけた。ハルの行動くらいお見通しということらしい。ここらへんは流石リーダーといったところか。
「うん昨日。よくわかったね」
「それだけ嬉しそうにしてれば普通わかる。どうやらお気に召したようだな」
 ハルは親指を立てて応じた。
 フィッツジェラルドの名前を出した時のあの反応。凛々しくも少女のように綺麗な顔が昂揚に歪んだのをハルは確かに見て取った。あのときハルは確信したのだ。彼もまたあの事件のことを忘れられずに縛られ続けている「同志」なのだと。そこに根拠など必要ない。
「サービスで変身姿まで見せた甲斐があったよ」
 気軽にやって見せたが、変身は結構な大技である。その上公共の場では目立ちすぎるため、ある意味ハルにとって精一杯のおもてなしであった。
「お返しに陰陽桜は見せてもらえたか?」
「うん。綺麗だった。確かに私の鍵とも似てたし」
 攻撃のポーズを見せたハルに対して、桜花は期待通りあの扇子を取り出した。話には聞いていたが、あの美しい輝きは一目で常識外のものとわかった。
「まだ未知な部分も多いが、きっと我々の力となってくれるだろう」
 それだけ言うと、板堂は家を出て行った。毎度二人になるとすぐ逃げていくような気がするが、単に彼は彼で色々とやることがあるのだろう。ああ見えてまだ学生だし、学校に行っただけかもしれない。特にもう用事のないハルはこの機にシャワーに入って少し頭を冷やすことにした。

 浴室の鏡の前に立つと嫌でも目に入る、顔や体のいたるところに刻まれたペイント。歌姫としての自分の特徴ともされているが、ハルにとっては違う。
 ――これらは過去の象徴だ。
 自他共に認める完璧な胸元にも、大きなペイントがある。
 あれはもう15年近くも前のことだ。
 覚えているのは、浮遊感。足元がない奇妙な感覚。
 あの日ハルは大切なものを失った。
 振り返ってみれば失ってばかりの人生だ。
 けれどそれももう終わる。
 これからは取り戻していくのだ。無くしたものを一つずつ。

 シャワーから出て、服を着る。
 だがシャツを着たところで違和感に気付いた。
 ベルトがない。変身するための鍵が入れてあるベルトが。
 服を脱ぐ前に外したから、シャツの下にあるはずだ。記憶違いで、先に居間で外しておいただろうか。
 ハルは釈然としない思いを抱えながらも、ともかく探さなくてはと鍵を開けて脱衣所を出た。
 直後、脇腹に突然何かを押し付けられた。
「ぐ……っ!?」
 バチンッという音とともに全身を貫く強い衝撃。膝の力が抜け、受身も取れずに床にどしゃっと崩れ落ちる。
 急速に薄れゆく意識の中で、なんとか犯人を振り返ろうとするが、願い叶わずそのまま意識を失った。


「あとは貴方の言う条件を満たことができれば、この少女は我々のもの。そういうことでよろしいですね?」
 神経質そうな顔をした浅黒い肌の中年男性が、倒れた少女を見下ろしながら白衣を着た小柄な男に不安定なイントネーションの日本語で問いかけた。
「うん。それが出来たら、ハル・フィッツジェラルドは君たちの好きにしていいよ」
 白衣の男が片目を閉じて微笑んだ。
「ご協力感謝します。ミスター坂本」
「感謝は早いよ。僕が手を貸そうと、板堂に見破られたら終わりだ」
「板堂……あの灰色の男ですか。その男は一体何者なのです?」
「再三計画を阻止されてわかってるだろう? 真正面からやりあって彼に勝てるわけがない。本来彼を敵にした時点で負けだよ」
 異国の中年男は顔を青ざめさせた。
「まぁそう心配しないでよ。今回はまともにやりあう必要なんかないんだ。君らはハルを手に入れさえすればいい。そうだろう?」
「そうです。私たちには彼女が必要だ。……たとえハイリスクな方法をとってでも。わが国に平和をもたらすために」
「すばらしいよ。君のその覚悟はね」
 白衣の男はより一層穏やかに微笑んだ。



 
4.


「桜花、できた!」
 桜花は亜癒からノートを受け取った。
 昨日のことだ。桜花は彰から、亜癒の家庭教師をやってくれと頼まれた。
 今年で十二歳になる亜癒は、一度も学校に通っていない。
 五歳から行方不明になっていたのだから当然だ。突然六年生として学校に通えるわけもないので、彰と桜花とで最低限の勉強と社会常識を教えることになった。そんなわけで今日は桜花の家に来ている。彰には遊びながら気楽にでいいと言われているものの、頼まれた以上は真剣に教える気だったが、さっきから驚きの連続で半ばそれどころではなくなっていた。
「また全問正解じゃないか。すごいな」
 とにかく驚くほど覚えが早い。とりあえず1日目の教材として用意した範囲をはるかに超える進度だ。おかげで初日からアドリブでの対応を迫られた。1日目でこの調子なら、学力的にはそう遠からず問題なくなるのではないかと思ってしまうほどだ。
 桜花に頭を撫でられて、亜癒は懐いた猫のように目を細めて微笑んでいる。この時間は桜花にとっても楽しいものだった。その上バイト代もしっかり出る。
「さて、今日はここまでだな」
「はーい! じゃあ桜花、あそぼ!」
 亜癒が嬉しそうに飛び跳ねながら言う。勉強の時間が終わってはしゃぐ姿は、子供らしくて微笑ましい。
 幸い時間にはまだ余裕がある。少し遊んで行くくらいなら問題ないだろう。
「あのね、桜花に見てほしいことがあるの」
 何が楽しいかなと思案していた桜花に、亜癒が胸を張って言った。
「それは楽しみだな。なんだい?」
「見ててね!」
 言うが早いか、亜癒は服を脱いでいく。
 制止するのも忘れて唖然としている間に、もう素っ裸になってしまった。胸をはって立つ亜癒を思わずじっくり見てしまう。年齢不相応に低い身長に反して胸などは幼児のそれでは決してない。保健体育から教えるべきだっただろうか。桜花は少し後悔した。
「亜癒ちゃん、そう簡単に人前で裸になってはいけないよ。というかなんで脱いだの?」
「えへん!」
 なぜか自慢げに咳払いすると、亜癒は両手を広げた。

 ――すると、すでにそこに亜癒はいなかった。

「亜癒ちゃん!?」
 桜花は狼狽して周りを見渡す。一瞬も目を離していなかったはずだ。
 初対面のときを思い出して焦りが増していく。
「大丈夫」
 とすん、と軽い感触と共にいつのまにか亜癒が腰に抱きついていた。
「……! 良かった」
 桜花の口から安堵のため息がもれた。
「わたし、自由に透明になれるようになったみたい」
 もう一度桜花から一歩離れて、今度は点滅するように一瞬だけ消えてみせた。
 試しに手を握ると、やはりその間は透明になることができないようだった。
「驚いた。すごいね。……でもあんまりやらないでほしいかな。これは人前で裸にならないでってことよりも大事なお願いなんだけど」
「どうして?」
 桜花は無言で握った手を引き寄せて、自分の胸に押し付けた。
「すごいドクドクしてる」
「怖かったからだよ」
「こわかった?」
「そう」
 桜花は諭すように言った。
「せっかく見つけた君を二度と見失いたくないんだ。彰さんだって、七年間ずっと君を探し続けていたんだから」
 亜癒はワンテンポ遅れて何かに気づいたようだった。
 そして神妙に頷くと、真似するように桜花の右手を自分の胸に押し付けた。桜花の手にひんやりとした肌の感触と、その奥の速まった鼓動が直に伝わる。
「今桜花やパパがどっかいっちゃうのを想像したら、わたしも桜花と同じになった。だからつかわなきゃってときしか、つかわないね。ごめんなさい」
「ありがとう。良い子だな」
 二人はどちらからともなく互いに微笑みあった。
「あのね」
 そして亜癒が少しもじもじしながら言った。
「桜花が胸にさわってると、さっきとちがうドキドキする。これ好きかも。なんだろう、くすぐったいけど」
 桜花の心拍数が跳ね上がった。一度意識してしまうと右手から伝わる柔らかさに脳がクラッシュしそうになると同時に顔から血の気が引く。よく考えたらこの状況はマズい。
「な、なんだろうね! さあてゲームでもしようか! はやく服着て!」
 社会的に取り返しがつかなくなる前に手を離そうとした。だが右手はしっかり抱え込まれていて外れない。かといって強く引っ張るわけにもいかない。なまじ下手に動いたせいでふにふにとさらにその感触を味わってしまう羽目になっただけだった。
「もうちょっとこのままがいい」
「ダメだよ!」
「桜花さっきからダメばっかり」
 不満そうに頬を膨らませながら上目遣いで訴える。幼い言動と幼くない胸の感触が桜花の正気をかき乱す。7年の空白はかくも恐ろしい内面と外面の齟齬を発生させるのか。正気度ロールが振られる前に桜花はなんとか逃げ場を探す。
「また今度ね! 時間もそんなにないし」
「また今度? やくそく?」
「う、うん」
 嬉しそうに言う少女にいいえなどと言えるはずもない。痛恨の失言。また胸を触る約束などもう犯罪だ。桜花は家庭教師を引き受けたことを後悔しかけた。
「まぁその話は置いといて、ケーキでも食べようよ」
「ケーキ!」
 亜癒がその単語に反応して目を輝かせる。
「じゃあ準備するから早く服着て」
「わかった!」
 亜癒がいそいそと服を着始める。
「そうか、ケーキか……」
 なぜ一手先にこれが思いつかなかったのか。
 女の子はお砂糖とスパイスそれと素敵な何か、そういうものでできているという。
 次からはさっさとお菓子で釣ろう。
 桜花はそう心に決めた。


 桜花は普段オレンジジュースも牛乳も飲まないが、牛乳はたびたび来る舞が置いていき、オレンジジュースは念のため昨日買っておいた。亜癒に牛乳とオレンジジュースと甘党宣言の三択を提示したら迷わずオレンジジュースを選んだので、桜花はほっと胸をなでおろした。
 ケーキは小さいのを三種類、モンブランとショートケーキとチョコケーキを用意したが、こちらの三択はジュースと違い即決とはいかず、亜癒は散々悩んだ結果最終的にショートケーキとチョコケーキを半分こして食べるという結論に落ち浮いた。残ったモンブランは舞の分となる。
 その辺の店で買ったさして高くもないケーキだが、亜癒はとても幸せそうに食べてくれるので桜花としても嬉しい限りだ。天才料理人の娘なのでそのあたりも少し不安だったのだ。
「わたし、会えたのが桜花でほんとによかった」
 口の周りに生クリームをつけて満面の笑みでいう。
「ケーキが食べられるから?」
 あまりに幸せそうに食べるのでちょっと意地悪を言ってみた。
「じゃなくて、ケーキじゃなくてちがうの! ケーキおいしいけどそうじゃなくて!」
 自分でも発言タイミングのまずさに気づいたのか、顔を赤らめて手をブンブン振りながら慌てて弁明する。その様子がとても微笑ましくて思わず笑ってしまう。
「冗談だよ。ゆっくりお食べ」
 亜癒の口の周りを濡れティッシュでふき取る。亜癒は赤い顔を少しうつむかせた。
「そうじゃなくて……こう……また胸触れば気持ちわかる?」
「やめてくださいごめんなさい」
 脅されている気分だった。

「さて、そろそろ約束の5時が近いな」
 時計を見ると四時半。住所から考えて30分もあれば余裕だろう。
「おー。ダスクいくじかん」
 件名に新メンバー歓迎会と書かれた板堂からのメールをもう一度確認する。
 いよいよか、と桜花は思った。板堂、そしてハル・フィッツジェラルド。
 この会は桜花、そして亜癒にとっても大きな意味を持つ。
 よし家を出ようという丁度そのタイミングで外からクラクションの音がした。
 すぐそこからだ。
 なんだろうとドアを開けて見てみると、白い雪の残る地面と同化する白い車。あれは確か板堂の車だ。
「どうしたんだろう」
 予定では桜花たちが向こうへ訪ねて行くことになっていたのに、わざわざ迎えに来たのだろうか。
 するとすぐに慌てた様子で板堂が降りてきた。
「乗ってくれ佐倉。すまないが歓迎会は延期だ」
 余裕ぶった顔は鳴りを潜め、その顔は深刻そのものだ。
 桜花もすぐにただ事ではないと察した。
「何があった?」
 板堂は険しい顔で答えた。

「ハルが誘拐された。君の助けが必要だ」





5.

「後生です! 行かせてください!」
 およそ現実のものとは思えない色が入り混じった幻想の空に、青年の声がこだました。頭を床にこすりつけんばかりの勢いで目の前の人物に向かって叫んでいる。
「ダメだ」
 その場を統べる主である少年は、青年の懇願を即座に切り捨てた。
「クロウを見ただろう。あの一瞬であれだけ消耗したんだ。そんな短い時間行ったところで何ができる?」
 主はその中性的な声で淡々と事実だけを述べた。
「それでも! あの子は私の……私の……!!」
「わかってる」
「ならば何故っ!?」
「君を失いたくないからだよ」
 その言葉に青年は初めて顔を上げた。
 主の表情は、青年よりもさらに悲痛なものだった。
「無理をすれば君は消える。そんなのボクは絶対にイヤだ」
 主のそんな顔を見て、青年はそのまま何も言えなくなってしまった。
 しばらくして、主は涙を拭うと、青年の方に優しく手を置いて言った。
「心配することはないよ。彼女は大丈夫」
「何故……そう言えるのですか?」
「だって、あっちには彼がいるから」
「彼?」
「うん」
 その顔は、声の印象通りの子供らしい純粋な笑顔だった。
「ボクの一番大事な、親友さ」




 ☆



 腕を動かすと、ジャラリと耳障りな金属音。その上目を開けても何も見えない。
 意識を取り戻したハルはすぐに自分の置かれている状況を理解した。
 監禁されている。鎖で繋がれ、どこか屋内に閉じ込められているようだ。
 不幸中の幸いというべきか、服は着たままで、体に痛みなどもない。そういうことはされていないようだ。
「お目覚めのようですね。ハル・フィッツジェラルド」
「……まぁね」
「丁重なおもてなしが出来ず心苦しく思います。ですがそれもあと数時間。ご辛抱ください、そのあとは自由を保障いたします」
「自由? どうだか」
 聞こえてくる男の声。イントネーションから察するに、日本人ではない。
 どうやら相手は女としてのハルにではなく、超能力者としてのハルに用事があるようだった。となると思い当たる相手は限られる。
「お国の調子はどうですよ、誘拐犯」
「覚えていてくださいましたか」
 心底感激した様子の声に、聞こえよがしに舌打ちをする。よりによってこいつか。厄介な相手に捕まったものだ。
「ご存知の通り、我々の国は未だに分裂状態。ですがあなたの力さえあれば、それもすぐに終わる」
 やっぱりな、とハルは心中で毒ずいた。自由を保障なんて嘘っぱちだ。はなからハルを飼い殺す気でいるのだ。
「冗談じゃない! あんたの国では私は娼婦か何かだと思われるのが関の山、こんな女連れ帰ってもあんたが気の狂った生臭坊主扱いされるだけです!」
「ご謙遜を。お召し物なら後ほど適切なものをお渡しします。そして何よりその身に宿った奇跡を目の当たりにすれば、民衆はすぐに跪くでしょう」
 反吐が出る。この男とハルはどこまでも平行線だ。
「そんなもの着るくらいなら裸の方がずっとマシですよ。それ以前にお前はヴァンにやられて終わりだ!」
「そのことでしたら心配には及びません。既に手は打ってあります」
 ここにきて初めてハルは恐怖を感じた。
 この男の余裕はなんだ。こいつは板堂を知っている。どうにかできるなんて思えないはずなのに。
「ハッ、あんたにヴァンを倒すなんて無理ですよ」
 その声には自分でも少し弱まっているのがわかった。
「私ではありません」
「なに?」
 まさか避けて通る気だろうか。それこそ無理な話だ。情報戦で店長を出し抜くことなどできるわけがない。
 するとハルの腰に何かがまわされた。感触でわかる、あのベルトだ。
 いよいよハルは混乱する。一体こいつは何を考えているのだろう。
「武器を返すなんてなんのつもりですか。殺して欲しいなら快諾しますよ」
「貴女がやるのです。女神よ」
「はぁ……!?」
 そこにもう一つ足音が聞こえてきた。
「さぁ、第二段階に進もうか。ねぇ、水の歌姫?」
「お前――」
 そのあまりに聞き覚えのある声にハルは意識を失いかけた。
 死ぬほどむかつく声。
 その時ハルは全てに納得がいった。
「ふざけるなっ!! 全部お前の仕業か!!」
 瞬間声がした方向に思い切り体をひねる。ガン、ガンと金属同士が打ち鳴らされるが所詮鎖はビクともしない。
「死ねッ、死ねぇえええ!!」
 ハルはあらん限りの力で叫んだ。
「さぁ行こうか、板堂たちを倒しに」
 男はどこまでも涼しげに言い放った。



5.


 今回は危険が伴うというので、彰の店に寄って亜癒を降ろしてから、再度板堂の車に乗り込んだ桜花は、道すがら板堂から事情を聞く運びとなった。
 雪の残る道を猛スピードで走っていく。前回はかなりの安全運転だったので、板堂もかなり焦っているようだった。
「ハルから話は聞いているか?」
 その口調はただ事務的だった。
「いや、顔を合わせただけだ」
「そうか。なら目的地に着くまでに手短に説明しよう」
 車のハンドルを握ったまま板堂は話し始めた。
「彼女の名前はハル・フィッツジェラルド。あのサラ・ジュリア・フィッツジェラルドの養子だ」
 サラ・フィッツジェラルドの養子。それは桜花の予想通りであると同時に、最悪の事実の肯定でもあった。
「ていうことはやっぱり」
「ああ。彼女はフィッツジェラルドサーカス一座の生き残り」
 ハーメルン事件の爆心地、サーカス。
 当然サーカス団はほぼ全滅した。その生き残りだとするなら、彼女の苦しみは桜花をして想像を絶する。
 フィッツジェラルドと聞いた時から、サーカス団員であるだろうことはわかっていた。なぜならサラは世界中で孤児を引き取り、団員として育て上げてサーカス団を創ったのだから。
「君は佐倉紅郎の息子なのだから、予想できて当然だったな」
「そんなに詳しく聞いたわけじゃないけどな」
 佐倉紅郎はサラの恩師だった。
 紅郎はサラのサーカス団計画に感銘を受け、自らのテーマパークをサーカス団の受け入れ先として提供した。
 全てが上手くいっていた。あの日全てが燃え尽きるまでは。
 サーカス団創設者たるサラはフィッツジェラルドランドの完成を前にして海外で消息不明となり、そして完成直後にサーカスハウスは消滅した。
「あの事件でハルは全てを失ったっていうのか」
「そうだ。だがそれだけじゃない」
「だけじゃない……?」
「忘れているようだな。サラ・フィッツジェラルドが集めていたのは元々孤児だ」
 桜花は息が詰まった。そこまではまったく想像していなかった。
「両親を亡くし、異国の地を放浪していた彼女はフィッツジェラルドに拾われた。そしてあの事件でもう一度全てを失い、Duskに来た。君と同じく、失ったものを取り戻すためにな」
 同じといえばそうかもしれない。だが桜花には妹や母がいたし、父が結構な財産持ちだったおかげで生活費や学費にも困らなかった。居場所すら失ったハルとは違う。
「彼女にこれ以上何も失わせないために、力を貸して欲しい。俺だけでは彼女を助けることはできない」
 その言葉にはただ純粋に仲間への思いだけがあった。まだよくわからない男ではあるが、ちゃんとリーダーであるらしい。
 そして今は桜花もまたDuskの一人なのだ。
「俺にできることならなんでも言ってくれ」
 焦りからか、ずっと張り詰めた表情をしていた板堂はそこでようやくいつもの笑みを浮かべた。
「君ならそう言ってくれると思った」
 桜花もミラー越しに一瞬だけ微笑み返すと、表情を引き締め直して一番大事なことを尋ねた。
「それで、誘拐犯に心当たりはあるんだな」
「ああ。フィッツジェラルドに拾われる前、ハルは海外に居たんだが、そこは今治安が悪化していてな。毎日のように紛争が起こっている。そこの『愛国者』がハルの超能力のことを偶然知り、目をつけたんだ」
「愛国者って……」
 あまりに突拍子のない話だったので理解するのに時間がかかった。紛争だの愛国者だの、そんなのは日本に住んでいる桜花にとって超能力よりもフィクション染みた話だ。
「つまり超能力を使って一気に紛争を終わらせる、みたいなことか?」
「違う」
 板堂は一層皮肉げに口元を歪めた。
「奴らが必要としているのは力ではなく救済の象徴」
「象徴? 女神さまにでもするのか?」
「まさしくその通り。神秘の碧き力を持つ美しき乙女。これ以上ないほど相応しく見えたのだろうな」
 確かに桜花も、初めて会った時ハルの美しさには息を飲んだ。そしてあの水の力は、これ以上ないほど説得力のある「奇跡」となるだろう。
「気に入らないな」
 桜花は吐き捨てるように呟いた。
「同感だ」
 仲間を守るという誓いとは関係なく、桜花はただ個人的に気持ち悪いと感じた。立派なお題目のもとで好き勝手する人間は好かない。
「『女神』にされてしまえばハルが日本に帰ってくることは二度とないだろう。私だってもう二度と仲間を失いたくはない」
 二度と。その言葉の意味を桜花は正しく理解した。ミラー越しに見える表情に変化は見られないが、Duskのリーダーなどやっている彼が何も失っていないわけはないのだ。
「どうすればいい?」
 桜花は今やこの男に素直に力を貸したいと思っていた。
「その目的から奴らはハルを傷つけるようなことだけはしない。国外に飛ぶ前に取り返せればこちらの勝ちだ」
「今から探しに行くってことか?」
「いや」
 あたりはすっかり暗くなり、三人を乗せた車は屋根付きの商店街の中を走っていた。人気はない。ほぼシャッター通りと言っていいだろう。
「奴らの潜伏場所はすでに店長が抑えてある。もうすぐ到着する」
「ちょっと待て。それならもう勝ちじゃないのか? 相手は超能力者じゃないんだろう」
「そのはずだった。しかし残念ながらそう簡単にはいかないようだ。追い詰められた奴らはある人物の協力によって最悪の手段に出た」
 突如フロントガラスが碧く染まった。
「なに!?」
 桜花は反射的に身を低くした。
「来たか……!」
 板堂がハンドルをきって紙一重で紺碧の光を躱した。
「超能力……!」
 しかもこの碧い光には桜花も見覚えがあった。
 車を降りる。
 長い金髪をなびかせて、その少女は二人の前に立ちふさがった。
「何がどうなってる……?」
 目の下には印象的な星型のペイント。
 その少女は紛れもなく、誘拐されたはずのハルその人だった。
「洗脳」
 板堂はつぶやいた。
「奴らはハルを操って、ハル自身を私たちと戦わせることにしたのだ」
 あの鍵を構え、ヘソ出しシャツのラフな格好。
 その目には明らかに昨日会った時のような溢れる精気は感じられない。頭には外界の全てをシャットアウトするようにヘッドフォンをつけている。
「考えたものだよ。これで俺は手が出せない。私の力では最悪殺してしまうからな」
「嘘だろ……」
 だが目の前の光景が、嘘でないことを何より雄弁に語っていた。
「気に入ってくれたかい?」
 シャッター通りの奥からもう一つ人影が姿を現した。
 白衣を身にまとい、長い栗色の髪をオールバックにした小柄な男。その顔には温和な笑みを浮かべているが、その色素の薄い目は、どこを向いているかわからない薄気味悪さがあった。
「坂本先輩。なぜこんなことを……」
 板堂が赤い眼で睨みつけるその男、坂本は涼しげな笑顔で受け流した。
「紹介するよ。こちらが僕のクライアントのルキオ氏さ」
 後ろの建物から浅黒い肌の男が出てきた。白っぽい簡素な民族衣装のようなものに身を包んでいる。おそらくはその愛国者の主犯格だろう。
 さらにその周りを、何かが守るように取り囲んでいる。
「ロボット……?」
 そうとしか見えなかった。人型をした機械が複数、男の周りを囲んでいる。腰回りや関節などは細くただの人形のようだが人が入っているのかというほど滑らかに二足歩行している。
 なんだこれは。
 桜花は青ざめた。まるでスターウォーズの世界だ。
「一応護衛にね。貴重な依頼主さまを危険に晒すわけにはいかないからさ。ああそうか、君とは初対面だったね。なら驚くわけだ」
 白衣の男は片目を閉じて穏やかに微笑んだ。
「初めまして佐倉桜花。僕は坂本悟。Duskのメンバーさ」
「Dusk……!?」
 突然明かされる真実に思わず板堂の方を見る。
「そうだ。彼はDuskのメンバー。すぐれた技術力と、類稀な超能力を併せ持つ優秀な男だった」
 赤い目が苦しげに細められた。
「施境亜癒をあの時拘束したマネキンの腕は僕の作品の一つさ」
 地面から突然生えて亜癒を捉えた連結する腕だけのマネキン。あれも現実ではありえない動きをしていた。
「人形を操る超能力……?」
「そんな単純な力ではないよ。現に今僕はこの少女をも操って見せているわけだろう?」
「そんなことはいい」
 板堂が鋭い声を飛ばした。
「なぜ我々を裏切った」
「裏切った? 僕はアーティストだ。より自分の才能を活かせるところに行ったまでだよ」
 微笑みを微塵も歪ませることなく坂本は言い切った。
「わかっているね板堂。こっちを攻撃しようとすればハルを盾にするまで。君はもう黙って僕の要求を飲むしかない」
 板堂は沈黙するしかないようだった。
 それを認めた後、坂本の色素の薄い目が再び桜花を向いた。
「板堂が動けない今、ハルを止められるのは君しかいない。君ならハルを傷つけることなく止められるかもしれない。その陰陽桜の力は未知だからね。さぁ、僕に見せておくれ」
 その顔には、ただ子供のように無邪気な好奇心だけがあった。
「頼む佐倉」
 隣で板堂が苦しげに呟いた。
「正直、奴の言う通り君に賭けるしかない。ハルを……取り戻してくれ」
 桜花に断る理由はなかった。
「……やってみる。だがどうしたものか、だな」
 桜花の手の中で、陰陽桜が輝いた。


「ミスター坂本。これで貴方の出した条件は満たしました」
 異国の男――ルキオが坂本に囁いた。
「どうもありがとう。これが見たかったんだよね」
 野球のチケットが取れた少年のようにあっけらかんという坂本に、ルキオは少したじろいだ。
「それに、こういうシンプルな趣向も悪くないだろう?」
 にっこりと微笑んで陰陽桜を構えた桜花を指差した。
「彼が勝てば失敗。ハルが勝てば成功。それだけさ」
 ルキオはどこまでも楽しそうに言う坂本に気味の悪さを感じつつも、現状に手応えを感じていた。
 坂本は組織内部への手引きと、洗脳の超能力をルキオのために提供するかわりに、ハルを桜花と戦わせることを条件として提示した。ルキオとしては無駄なリスクは避けたかったが、現状Duskには凄腕の情報屋であるラーメン屋の店長がいる。彼がいるかぎり接触せずに逃げるということは不可能だった。ならば佐倉桜花との接触はどのみち避けられないと考え、その条件を飲んだのだった。坂本は気まぐれな芸術家気質故、協力者としては不安もあるが、内通者がいるのといないのとでは成功率に天と地ほども差が出る。そもそもルキオ単体ではすでに何度か失敗しているのだから、藁にでも縋るしかなかった。
 とりあえずハルを操っている限り板堂聖派が手を出せないというのは本当だったようだ。所詮は戦場を知らぬ日本人、いかに強力な超能力者といえど甘い。
 あとはハルが桜花を破りさえすればルキオの目的は達成される。
 ルキオは故郷にいる同志たちのことを思った。
 もうすぐだ。もうすぐあの国に、平和と秩序をもたらすことができるのだ。


 季節外れの桜吹雪が舞い、陰陽桜が輝きとともに刀に変化する。
「ハル……君には聞きたいことがたくさんある」
 ハルは答えず、前と同じように鍵を天に掲げた。
「変身」
 そして小さく呟くと、ハルを水と光が包み込み、戦闘用スーツがハルの体を包み込む。鍵は二本のナイフへと変化し、ハルの両手に収まった。バイザーの向こうで生気のない瞳がこちらを見つめているのがわかる。変身したにもかかわらず、ヘッドフォンは消えていない。おそらく坂本たちの指示があのヘッドフォンを通して届けられるのだろう。
 桜花は勝ち筋を考える。
 そもそも桜花は幼少の頃祖父と素振りをしていた程度、腕前と呼べるようなものは持ち合わせていない。対してハルは元サーカス団。身のこなしは向こうの方が確実に上だろう。ならば武器の差と腕力しか有利な要素はない。しかし基本的にハルは動きやすさを優先させた露出度の高い格好。一応バイザーや籠手のようなものは装備しているが下手な攻撃をすればハルの体に傷を残してしまう。
 一体どうすればハルを抑えられるのか。どうすれば勝ちなのか。
 戦術を考えているうちにハルが動いた。予想通り速い。潜るように低い姿勢のまま桜花に肉薄したかと思うと、鋭い回し蹴りを繰り出した。とっさに後ろに飛んで避けると、今度は着地の隙を狙ってナイフが飛んでくる。
 すんでのところで刀で弾く。まさか躊躇いなく貴重な武器を投げてくるとは思わなかった。
 だが次の瞬間にわかった。
 青い光とともに、ナイフがハルの手元に戻っていく。
「弾数……無限か」
 冷や汗をかく。このままでは圧倒的に不利。
 ともかく接近戦に持ち込まなければ。そう思い駆け寄ろうとした矢先、ハルが突然踊り出した。理解不能の行動に警戒して立ち止まる。すると次の瞬間、踊りに呼応するように碧く輝く水が鞭のようにうねって襲いかかってきた。避けるために再び後ろに下がらされる。その瞬間またナイフが飛んでくる。今度は防御が間に合わず、左腕の袖を削り取られた。怪我はないが、バランスを崩してよろけてしまう。その致命的な隙を鞭となった水が打った。かろうじて刀を盾にするも衝撃を殺しきれず弾き飛ばされて地面を転がった。
「ぐっ……」
 地面を転がってなんとか衝撃を殺す。もし今ナイフでの攻撃だったら致命傷だったかもしれない。回収のタイムラグがあったから助かったものの、近距離から遠距離までの攻撃を自在に使い分ける相手に勝ち目はあるのだろうか。
「佐倉!」
 板堂が叫んだ。
「イメージしろ! 陰陽桜は刀になるだけが能じゃないはずだ」
 イメージ。
 そうだ。桜花は思い出す。これは舞を生還させた奇跡の力を持つはずの神秘の扇。刀になるだけが全てのはずがない。
 この扇子は明らかに桜花の意思に呼応している。ならば形状もある程度桜花の意思が反映されて不思議ではない。
「頼む……ハルを取り戻さないといけないんだ」
 今必要なのは、飛び道具。
「力を貸せ、陰陽桜!」
 陰陽桜を握りしめ、全力で叫んだ。
 果たして、答えはあった。
 再び桜色の輝きが溢れ出し、刀の形を失い不定形となって桜花の手の中で蠢く。
 そこに桜花は全力でイメージを注ぐ。
 何か力が欲しいという願いは刀となった。ならばもっと具体的に。相手にまっすぐ飛んでいく力を。
 輝きが桜花の心に呼応して徐々に形が定まっていく。
「百発百中……投げナイフを上回る射程」
 桜花の中の飛び道具のイメージ。それが形となって桜花の右手に収まった。
 それは、一張りの弓。
「へぇ、弓矢! 面白いじゃないか佐倉桜花!」
 坂本が歓声をあげ、後ろに控えるルキオが苦い顔をした。
 だがそんなことに意識を割いている暇はない。
 桜花が弓を構えるが、相手もすでにナイフを回収していた。
 再びナイフが飛んでくる。
 だが幸運にも水の鞭で弾き飛ばされたおかげで距離は10メートルほど離れている。そう簡単には命中しないし、これほど距離が離れてしまえば投げナイフ程度かわすのは素人の桜花をして造作もない。
 桜色に輝く弓を構えると、そこにひとひらの花びらが舞い降り、矢へと姿を変えた。
 今や距離が開いたことで不利になったのは完全にハルの方だった。
 今この瞬間、ナイフを回収するモーションに入ったハルは避ける動作を取れない。
 ――つまりやるならこの一瞬を置いて他にない。
 狙うのはただ一点。初対面の時にはなかったヘッドフォン。確証はないが、坂本は無機物を操る超能力者。ハルを操るのに明らかに初対面の時はつけていなかったあのヘッドフォンが無関係とは考えづらい。
 ――そこを射抜く!
 青い光がハルの手に戻るよりも一瞬早く矢は放たれた。
 その矢は不自然なほど完璧な直線を描いていく。まるで思い描いた通りの奇跡を描くように。
 ハルの真横を桜色の光が通過する。
 狙い違わず。ヘッドフォンはバラバラに砕け散っていた。

「馬鹿な……!」
 ハルが意識を失って地面に倒れ、そのまま碧い輝きとともに戦闘衣装が弾けて消え、一瞬の後には元のシャツ姿に戻っていた。
 ルキオが驚愕に目を見開く。まごう事なき敗北がそこにはあった。
 こんなはずではなかった。情報によれば佐倉桜花はハルと同じタイプの超能力使い。それも昨日今日能力に目覚めたばかりで、刀に変化させることしか知らない上に剣術の、ましてや弓道の心得もない。7年前から能力者として活動しているハルが敗れる道理はなかったはず。
 気がつくと桜花の弓矢が異国の男に照準を合わせていた。ルキオは自分に向けられるその目を見て敗北の理由を悟った。
 微塵も躊躇いが感じられない。あの目は射る目だ。決して温室育ちの日本人のする目ではない。
 あの少年は歪んでいる。 普通は仲間の頭のすぐ横を射抜くなど余程腕前に自信があっても躊躇うもの。それが彼の性格なのか、あの陰陽桜によるものなのかはわからないが、その冷酷なまでの迷いのなさが戦力差を埋めたのだ。
 ある意味板堂よりはるかに脅威。絶対にこれ以上関わるべきではないと本能が警鐘を鳴らした。
「ミスター坂本。ここは我々の負けです、撤退を! 護衛をお願いします!」
 興奮した顔で桜花の弓矢を見つめていた坂本は笑顔のままくるりと顔だけを男に向けた。
「我々の負け? あはは、何を言ってるの。『君の』負けだよ」
 男が逃げようとした先に、鉄の塊が立ちふさがった。護衛のはずの坂本の機械兵である。
「なん……だと?」
「だからさ、板堂を敵に回した時点で負けなんだって。君はずっと前に負けていたのさ」
「まさか貴方は最初から裏切って!?」
「裏切る? それって、誰が誰をだい?」
 坂本は片目を閉じて微笑んだ。
 次の瞬間、ルキオは自分が全てを見誤っていたことを悟った。彼の中で何かが音を立てて崩れ去っていく。
「おのれぇええ……!」
 哀れな男のうめき声が、シャッター街に虚しくこだました。

「最初から危険とは思えど、お前など大した脅威にはなるまいと高を括っていた」
 コツ、コツ、と足音を立てながら、板堂がルキオにゆっくり近寄っていく。それを見て桜花は弓を収めた。
「だがハルの飲み物から薬物が検出された時、私は自分がいかに甘かったかを思い知った。そんなことを日常的にやられてはどこまで対処できるかわからない。だからこちらから打って出ることにした。坂本先輩に協力してもらってな」
 その言葉は桜花への説明のようでもあった。
 板堂はコートのポケットからボールペンを取り出し、指先でくるくると回した。
「ハル誘拐の計画を再三私に邪魔されたお前はDusk内部からの協力を申し出られ、その餌に飛びついた。ハルが計画を知らなかったこと、そして本気で坂本先輩を嫌っていることもお前に説得力を与えたようだな。だが実際は坂本先輩自身が誘拐計画の実行犯となることで、万が一にもハルに危害が及ばないようにしたまでのこと。全ては我々の計画通りに進み、お前は今こうして私の手の届く場所にいる」
 突きつけたボールペンが血のように赤黒い瘴気を放ちながら死神の大鎌へと姿を変えた。刃先はルキオの喉笛にぴたりと狙いを定めている。
 赤い眼に睨まれたルキオの呼吸がどんどん速くなる。音だけ聞けばまるで犬だ。
「こ、殺せるものなら殺してみろ。そんなものに屈しはせん! 私は我が国に平和をもたらさなければいけないのだ、そのためにどんなことでもしてみせると決めたのだ!」
「素晴らしいな。まるで英雄だ」
 板堂が鎌を下ろしてペンに戻した。ルキオは困惑しつつひとまず緊張を解いた。
 だが次の瞬間板堂の空いている手が男の首を絞めた。
「がッ……!?」
「だが俺にとってはただの悪党でしかない。仲間に手を出したお前はな!」
 その手から赤黒い輝きが迸った。
 雷の力。現実の雷とは違う赤黒い超常の雷光がルキオの体を駆け巡り、地面も揺れるほどの凄まじい衝撃の前に声をあげることもできず痙攣しながら意識を失った。
 板堂がハルに手出し出来なかった理由を桜花は理解した。死んではいないようだが、怒りを具現化したようなあの凄まじいエネルギー、とても仲間に向けられるようなものではない。
「……佐倉」
 誘拐事件に手ずから幕を下ろした板堂が桜花を振り返った。
「ありがとう。君のおかげで全てがうまくいった。それから、騙していてすまない」
「気にするな」
 桜花が気を失っているハルを助け起こしながら言った。
「俺たちの仲間、だろ」



6.


 ルキオの後処理を店長と坂本に任せてDusk本部に戻ってきた桜花たちは意識を失ったままのハルをベッドに寝かせ、ようやく一息つくことができた。
「怖い目にあわせてすまなかったな」
 ふーっと深く息を吐きながら椅子に座った桜花に、板堂は冷えた甘党宣言の缶を手渡した。
「ありがとう」
 自身もドクターペッパーの缶を開けつつ対面に座った板堂に礼を告げる。疲れた体に糖分は実際ありがたい。
「私の方こそ感謝したい」
 板堂は見慣れてきた感のある薄い笑いを浮かべながら言った。胡散臭いながらも、心なしかその表情はどこか柔らかい。
「君のおかげで仲間を失わずにすんだ。改めてその陰陽桜の秘めたる力の大きさを見せてもらったよ。そして君の強さも」
 陰陽桜の力。
 此度陰陽桜は桜花の願いに応えて弓に姿を変えて見せた。まるで強い想いの力が反映されたかのように。桜花にもまだわからないが、想いに応えるというのなら舞を生還させたのもその辺りに関係があるのかもしれない。
 それにもまして気になるのは今回板堂が見せた超能力。
 あの力はあの大鎌に変形するペンから放たれたようには見えなかった。
 板堂自身から放たれたものだとすれば、まさしく超能力者。
「超能力って、なんなんだ?」
 赤い目をまっすぐ見据えながら聞く。
 板堂は肩をすくめた。
「シンプルかつ難しい質問だな」
 もっともだ。漠然としすぎていたかもしれない。
「じゃあ一つ。俺やハルみたいに超能力を宿った道具を持っているだけの人間と、亜癒ちゃんやお前みたいに本人に超能力が宿ってる人間がいるみたいだけど、この違いは何?」
「なるほど……」
 板堂は少しだけ何かを黙考した後、目を閉じて静かに立ち上がった。
「それなら少しだけ話せることもある。が、亜癒ちゃんがいるときの方がお互い都合が良いだろう。それよりハルが目を覚ましたみたいだ。あとは頼む」
 少し早口にそれだけ言うと灰色の髪をかきあげて出口の方へ早足で歩いて行く。
「え、ちょっと」
 引き止める間も無くそのまま家を出て行ってしまった。
「ええー……」
 話が聞きたかったこともある。だがそれだけではない。このままではハルと二人きりになってしまう。
「佐倉さん?」
「!」
 部屋の奥から眠たげな声が聞こえてくる。思ったそばからハルが目を覚ましたようだった。
「意識戻ったんだ」
 同様で若干声が上ずってしまった。何しろ寝室から出てきたハルはヘソ出しシャツとデニムパンツだけの格好。そのシンプルな服装が、抜群のスタイルを際立たせる。寝起きのせいで眠たげな目と、その下に輝く星型のペイントと泣きぼくろが妙に色っぽく見えてしまい、直視するには刺激が強い。
 今この家には桜花とハルの二人しかいない。そう思うと背筋がぞくりとした。
「あの、佐倉さんが私を助けてくれたんですよね。ありがとうございました」
 少し頬を赤くしてはにかみながらの純粋な感謝に桜花は早速ドキリとさせられてしまう。
 しかし何故知っているのだろう。ずっと寝ていたはずなのに。
「これに」
 そんな疑問を察してか、ハルはぴらっと一枚の紙を掲げた。
「意識を失ってる間のことが書いてありました。あなたが助けてくれたこととか、操られてたこととか、坂本が裏切ってなかったこととか、とにかく佐倉さんが助けてくれたって」
 板堂の仕業だ。桜花は確信した。いつの間に手紙まで用意したか知らないが、それなら板堂はハルが起きたのに気づいたからあんなに急いで出て行ったに違いない。なんのつもりかわからないが、わざと二人になるように図ったのだ。
「確かに協力はしたけど、ほとんどは板堂と店長、それと坂本さんのおかげだよ」
「坂本は絶対違うって思いますけど」
 ハルが苦い顔をした。裏切ってないとわかってなお坂本は嫌らしい。
「それに覚えているんです、この体が。操られていた私と戦ってくれたのはあなただって」
 答えに窮す。それは無言の肯定に他ならない。桜花の顔を見て、ハルは満足げに微笑んだ。そのまっすぐな視線に耐えられず、桜花は不自然に時計を見ながら立ち上がった。
「じゃあ帰るね。今日は大変だったしちゃんと休んで。また今度ゆっくり話をしよう」
 そう言って踵を返した。時刻は8時半。帰るにしても不自然じゃない。
「今からじゃ、ダメですか」
 後ろからかけられたその声にピタッと桜花の足が止まった。
 正直言って夜中に女性と二人きりというのは抵抗がある。
 しかしハルの声は決して無視できない真剣なものだった。
「明日用事があるとかじゃなければ。ごめんなさい、ほとんど初対面なのにこんなこと言っちゃって。でも」
 桜花は出ていきかけた足を一歩戻してハルを見た。彼女の手は少し震えていた。
「恥ずかしいんですけど、今日一人は嫌、っていうか……」
 どくんと胸が脈打った。桜花は知っている。こういう表情をする人間を。
 孤独に苛まれたその顔を。
「……ごめん」
 桜花は頭を下げて謝罪した。
「いえ私こそ、」
 桜花は足早に歩き、そのままハルの前を横切って椅子に座った。
「無理言ってごめんなさ……あれ?」
「気が利かずごめん、そういうことなら。俺でよければ」
 ハルはキョトンとした後、ぱぁっと表情を明るくした。
「ありがとう佐倉さん!」
 そのあまりに真っ直ぐに向けられる満開の笑顔を直視できず、
「コーヒーでもいれてくる」
 桜花は台所に逃げようと椅子から立ち上がった。
「私がやりますから! 座っててください」
 しかし回り込まれて椅子に押し戻されてしまった。そうするとちょうど前かがみになって緩んだ胸元を直視する形になってしまい、動揺しながら目を逸らした。自覚がないのかハルは顔を寄せて桜花の様子を伺ってくる。
 顔が近い。いい匂いがする。このままでは理性が危ない。
 桜花が慌てて「じゃあお願い」と言うとハルは了解してキッチンに行ってくれた。
 一瞬だったがしっかり脳裏に焼き付いた白い胸。思い出すのがはばかられつつも、その胸に刻まれていたペイントが、少し気になった。

「どうぞ!」
「どうも」
 お互いにコーヒーを一口飲んで、ようやく少し落ち着いた。
「わがまま聞いてくれてありがとうございます。……えへへ、二人っきりですね」
 さっきの不安そうな顔はどこへやら、本当に嬉しそうに言われては桜花もまんざら悪い気はしない。
「私たちって何気に共通点多いと思うんですよね。超アイテムを持つ者同士でもあるわけですし」
「超アイテム……。そういう呼び方をするのか? まあ確かに俺自身は超能力者ってわけじゃなくてこれ持ってるだけだから、ひとまとめに超能力者扱いは違和感あったけど」
「それがそうとも言い切れないところもあるんですよね。ちょっとそれ貸してもらってもいいですか?」
 桜花は言われた通りに陰陽桜を渡した。
「さっきの戦い、私多分投げナイフ使いませんでした?」
「ああ。回収能力付きですごく厄介だった」
 加えて着地の隙を正確に狙ってくるので相当厄介だった。
 ハルはうんうんと頷きながら陰陽桜を振った。
「あれそんな難しいことじゃないんですよ。だって私その鍵に選ばれてますから」
「選ばれる? それってどういう……」
 その瞬間陰陽桜が桜色に輝いた。
 驚いている間に陰陽桜はもう桜花の手に戻っていた。
「これは……」
「はい、同じです。陰陽桜は私には使えない。あなたも『選ばれし者』ってことですよ」
「なんだそれ……アナキンじゃあるまいし」
 妙に気恥ずかしくて思わず突っ込む。
「超常的なアイテムに選ばれし者。これも超能力者って言えなくもない気がしませんか?」
「まぁそう言われればそうなのかもしれない」
「体が覚えてるって話ししましたよね。私の意識が完全に眠っていたならいかに洗脳しようと坂本は鍵の力を使えないんです。だから半覚醒状態で止めておいたんです」
「なんとなくわかるような」
「感覚としては格ゲーに近いかも。坂本がプレイヤーで、私がキャラだと思ってください。嫌な例えですね!」
 ハルは自分で言っておいて本気で嫌そうな顔をした。
「ともかくです。動き自体はコントローラーを持っているプレイヤーに主導権があります。でも波動拳や昇竜拳を実際に放つのはキャラ。当然プレイヤーが波動拳や昇竜拳のやり方をしっているわけじゃない。やり方を知っている私に『波動拳を放て』とアバウトな命令をしているにすぎないのです」
 軽くゲームを嗜んでいる桜花には一応理解できた。
「つまり自分の体のようにハルを動かせるわけじゃなくて、催眠術みたいに操ってるだけって感じなのか。だから選ばれし者であるハルにしか使えない鍵も使えたし、脳が起きてたからハルもある程度覚えていると」
「いぐざくとりー、その通りでございます」
 帰国子女らしからぬ発音とともに頷いた。
「もともと佐倉さんの陰陽桜には興味がありました。唯一の生還者が持っていたキーアイテムでもありますし、ポテンシャル的には私のよりも上って気がしますよ。何かただならぬパワーを感じます。洗脳されていたとはいえ私に勝っちゃいましたしね」
「上……そうかな」
 桜花は少し納得がいかない。戦況は終始押され気味だった。桜花は一瞬の隙をついたにすぎない。
「その鍵だって、変身したり、水を操ったり、『なんでもありか!』って思ったけどな」
「それだって自由自在ってわけじゃないんですけどねー……」
 そこでハルが何か思いついたのか、ポンと手を打った。
「そうだ! 変身くらいできるかもしれませんよ! 私も最初はできませんでしたし」
「え、変身?」
「似たタイプですから、お互いのできることを真似すれば幾つかは体得できるかもしれないってことです。水の力とかはさすがに無理でしょうけど、その扇子、形状の自在さは鍵より上っぽいですし練習すればいけるんじゃないですか?」
 そうか、と桜花も身を乗り出す。今回弓にできたように、これからまた能力が増えていくのは想像に難くないが、そのためのお手本があるのならよりバリエーション豊富になるかもしれない。
「真似か、考えつかなかった。確かに効率良いかもしれない」
 今までの経験から言って危機的状況に陥らなければ覚醒はできないかもしれないが、イメージトレーニングにしかならなくともぶっつけ本番よりはマシだろう。それになんといっても変身ができるようになれば格段にパワーアップした感じがする。
「じゃあお手本にハルの変身見せてもらってもいいかな?」
 ちょっとワクワクしながら桜花は言った。するとハルは瞬間的に顔を真っ赤にした。
 予想外の反応に桜花は首をかしげる。
「ダメかな」
「今、ここでですか?」
 声音も思いの外深刻そうだ。
「ごめん、もしかして結構大変なの?」
 桜花は自分が何か地雷を踏んだのか必死に考えた。
「い、いえ、それは大丈夫です、やれます! た、ただその……見……」
「?」
 ハルは天井を見ながら何かを考えていたようだが、意を決してベルトから鍵を引き抜いた。
「やります! 何度もはできませんから、やるからにはしっかり見ててくださいね! 瞬きもダメですよ!」
 顔は赤いままだったが、ただならぬ気迫が感じられる。どうやら桜花が思っていたほど気軽に変身できるわけではないようだ。
 よし、と桜花も気合を入れて頷いた。
 食卓を離れ、少し空いたスペースに少し距離を置いて二人で立つ。
「まずは何事もイメージです。自分が変身できるとイメージすること。このベルト、無くさないで鍵を携帯するためっていうのもありますが、変身をイメージしやすくするために着けてるんです」
 イメージ。なるほど、桜花の陰陽桜もそこは共通している。かなりためになりそうだ、と桜花は身を乗り出した。
「私はさらに変身ポーズをとって成功率を上げてます。例えば、こう!」
 左手に鍵を握り、右腕を斜め上に突き出す。さながら仮面の騎士のようなポーズ。
「そして叫ぶ、『変身』!!」
 その言葉とともに、ハルの服が弾け飛んだ。
「あっ…!」
 そうだった。桜花は今ようやくハルが赤面した理由を理解した。
 ハルの変身は一度服が消し飛び、その後装備が纏われる。
 一瞬ではあるが桜花はハルの裸身をはっきりと見てしまった。
 しかし、と桜花は赤面しながら疑問に思う。前回見たときは紺碧に輝く水で裸身はほとんど全く見えなかった。なのに今は、ポーズのおかげで胸は半分隠れていたものの白い裸身が隠れることなくはっきりと見えた。この差はなんなのだろう。
「どう、でしたか?」
 くノ一と踊り子を合わせたような動きやすそうな戦闘衣装にチェンジしたハルは、羞恥と疲労で荒い息をしながら言った。顔の大半を覆うバイザーに隠れてなお顔が真っ赤なのがわかる。
「あ、ああ。うん。すごかった」
 言ったあと我ながら見当はずれの答えだと思った。
「佐倉さんのえっち」
 赤面したままそんなことを言ってくる。
「いや、その、こうなるとは思わなかったっていうか……」
 しどろもどろになって言葉を探している桜花を見て、ハルは表情を緩めてくすくすと笑った。
「冗談ですよ。しっかり見ててって言ったんですからむしろ見ててくれなかったら困ります。でも普段はあんな風にはならないんですよもちろん、ただこの部屋で水の力を使うわけにもいかないから……」
「ああ、だからか……」
 納得した。あの時は体の周りに青く輝く水を渦巻かせながら変身していたのだ。
「私の中の変身のイメージが悪いのか、どうしてもこうなっちゃうんですよね……」
 鍵をベルトに収め、ハルが変身を解除する。また一瞬裸身があらわになったが予備動作を見て目をそらしかけていたので事なきを得た。
 魔女っ子の変身は一度裸になるのがお約束だ。おそらくハルはそういった作品の影響を受けているのだろう。桜花は心の中で偉大なる創作者たちに感謝した。
「佐倉さん、今ちょっとニヤってしましたね」
 うかつにも顔に出ていたらしい。
 わざとらしく咳き込んでごまかしながら、高まった気を落ち着けて桜花も陰陽桜を構えてみた。
「イメージ……」
 前回の戦いの時、桜花はある程度の手応えを得ていた。
 それは弓自体よりも、その直前の無形の状態にある。
 必要に迫られて飛び道具の強いイメージを持った時、陰陽桜は手の中で溶けて形を失った。まるで粘土のように。
 今やってみてわかったが、桜花にとって自分の姿が変わったり、服が一瞬で再構成される「変身」はイメージが難しい。だが例えば、粘土状態の陰陽桜を鎧の形にして「纏う」のであれば、擬似的な変身が可能かもしれない。
 鎧。強固な鎧。
 そう考えてはみたものの、桜花に具体的な鎧のイメージを三次元的に想像するほどの知識はない。今のままではどうやら上手くできないのを悟り、桜花は陰陽桜を下ろした。 このままやっても無形のままか、良くて意味のない形状になってしまうだけだろう。
 それに今は煩悩が邪魔をする。ヒントを得ただけで良しとしよう。
 煩悩の元凶が陰陽桜をしまったのを見て少し残念そうな顔をしたので、桜花は少し申し訳ない気持ちになった。
「ヒーロー物とかもっと見とくんだったな、うまくイメージできない。でもありがとう。なんか感じつかめたよ」
「それなら良かったです」
 集中を解いて椅子に戻った途端桜花の腹がぐうっと大きくなった。
「……そういえば何も食べてなかった」
 時刻はもうすぐ9時を回る。
「あはは、すっかり忘れてましたね。何か食べます?」
「そうしよう」
 そんなわけで桜花は食材の買い出しに出かけた。ハルも付いて行くと言ったが、疲れているだろうから待っていてというと、案外あっさり引き下がった。
 近くのスーパーで手早く買い物を済ませて戻ると、ハルがエプロンを装備して待っていた。桜花はなんだか照れてしまってしばらくハルの顔を直視できなかった。
 これではまるで新婚夫婦のようだ。口には決して出せないが。
「ごはんにします? お風呂にします? それとも」
「ごはんで」
 遮った。心を見透かされたようで桜花は無性に恥ずかしい。あるいは同じことを連想しただけかもしれないが。
 ともかく二人で協力して料理の準備をする。ハルは普段レトルト食品に頼りがちらしく、特別料理下手というわけではないものの、料理の腕は普段妹にご飯を作ったりしている桜花に軍配があがるようだった。
「飴色に炒めた玉ねぎはルーにコクを与える」
 もちろんメニューはカレーである。
「店長はプロですし、ヴァンもなんか地味にちょっとできるし、佐倉さんまで私よりできるとなるとこのままでは私の女子としての立場が……」
 ハルが何か言っているが、単純に環境の差だろう。帰りの車の中でハルはボーカリストとして活躍しているという話を板堂に聞いた。ライブ会場では「水の歌姫」として人気を博しているらしい。ハルはまだ17歳らしいし、基本暇な大学生である桜花とは違って料理をする時間なんてほとんどないことだろう。下手でないだけ立派だ。
「完成ですね!」
「やったね」
 いただきますと手を合わせて食べ始める。味は上々だった。
「おいしいです! レトルトのルーを使ったのにこうも変わるものなんですね!」
「俺もこれ知ったときは感動した」
 本当はもっと長時間炒めたかったところだが、時間の都合で断念した。しかしそれでも多少は違う。
 二人はあっという間にカレーを平らげてしまった。
 さて後片付けをするかと食器を下げたら、ハルが桜花を制止した。
「それは私がやっておきます。佐倉さんはお風呂にでも入っておいてください」
 どうやら桜花が買い出しに行っている間に風呂を沸かしておいてくれたらしい。同じ屋根の下に女性がいるのに入浴するのは色々考えてしまうが、結局断りきれずに入ることになってしまった。

「ふぅいー……」
 とはいえ体を流して湯に浸かってしまえば、心が安らぐのを感じた。桜花もそれなりに疲弊していたらしい。
 5分ほどした頃だろうか。コンコンと脱衣所のドアがノックされた。
「佐倉さん、お皿洗い終わったので、」
「あ、はーい! ありがとう」
「私も今から入りますね」
「わかった。……ん?」
 ガチャリと鍵を開ける音とドアを開ける音。
 家主だから鍵を開ける方法もあるのだろう。だが問題はそこではない。
「ま、待って! 落ち着いて! どういうこと!」
 返事はなく、ただ衣擦れの音だけが聞こえてきた。
 そして磨りガラスに美しいシルエットが映った。
 まずい。逃げたいがもはやそこまで来ているのでは出るに出られない。
「入りますね」
 そして無情にも扉は開かれた。
 案の定そこに立っているハルはタオル一枚の姿。思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「お背中お流しします」
「待つんだ。どうしてこうなった」
 胸なんか上半分はタオルの外だ。そのタオルも手で押さえてるだけで、ちゃんと巻いてすらいない。
「顔が真っ赤ですよ佐倉さん? 私の裸ならさっきも見たじゃないですか」
「1秒くらいな!」
 自分も真っ赤なくせにからかうようなことを言うハルに桜花はどう対応していいかわからない。女性と交際した経験など無いに等しい桜花にとってこの状況はパニックでしかなかった。
 友人の菊澤のことを思い出す。彼は常にモテすぎて困る状況に苛まれていた。彼ならこの状況も日常茶飯事なのだろうか。
「冗談です。あえて逃げ場を奪わせてもらいました。話を聞いてもらうために」
「話ぐらいどこででも聞くのに!」
 ハルは苦笑して首を振った。
「わかってます。でもこれからもっと深い話をするにあたって私も貴方も逃げられないように、です。見せたいものもありますから。まあ裸の付き合いってやつですよ」
「それ男女でやるやつじゃない」
 自らの退路を立ってまでこの凶行に及んだというのか。
 思えば亜癒がいくら裸になっても、こんな危機感は抱かなかった。身体的に幼いからというより、亜癒の心がまだ子どもで向こうにそういう意識が無いというのが自然とわかるからだろう。
 だがハル相手ではわからない。自分と相手、双方どうなるかわからない。
「とりあえず……背中、流させてもらっても良いですか?」
 懇願するように言われては桜花は断れない。元よりもう逃げられそうにもない。ただそれを了承することはハルに裸を見られるということ。幼少期に裸になるのとは意味合いが違う。
「わかったよ。でも出る時は目を閉じててほしいな」
 それだけ念を押して湯船から上がり、ハルに背を向けて風呂椅子に座って腰にタオルを巻いた。
「……じゃあ、お願い」
「はい」
 しばらくの間、浴室には石鹸を泡立てる音だけが聞こえていた。
 そっと桜花の背中に泡だったタオルが触れ、優しい手つきで擦られる。なんともこそばゆい感触だった。時折ハルの細い指が直接触れてそのたびに心臓が止まりそうになる。 その上、後ろで大きな何かが揺れている気がする。実際さっきはタオルを手で押さえていたのだから……などと邪な考えばかりが浮かんでくる。
「やっぱり、少し怪我してますね。ごめんなさい」
 ハルの手が優しく腰のあたりに触れた。自分では見え無いが、軽い内出血らしい。
「そんなのは怪我のうちにも入らないし、操られてた君が気にしなくていい」
 それよりも位置的に尻に近いので非常に恥ずかしかった。
「ねえ佐倉さん。佐倉紅郎教授って、どんな人でした?」
 桜花を洗う手が止まり、呟くようにハルは言った。
 その切なげな声に、桃色の思考が一時鎮まる。
 表情を確認したかったがそれは叶わない。
「父さんは……いい加減な人だったよ」
 今真っ先に思い出すのは闇の中での再会だが、それは今語る話ではない。
「いつも目深に帽子をかぶってて、いつ出かけていつ帰ってくるかも全然わからないし、食卓でいきなり専門的な話始めたりするし、突然高い釣り竿買ってきたのに一回行っただけであとは物置とかザラだし、大変だったよ」
 ふふっと漏れるような笑い声が後ろから聞こえた。
「子供っぽいところもあって、買ってきたものを自慢げに見せたのにあまり反応しないとムスッとしてしばらく部屋から出てこなかったり、幼稚園児にゲームのネタバレされてマジギレしたり、一緒にレゴやってたらいつの間にか父だけ徹夜でやってたりしたな」
「面白い人ですね。サラから聞いてたのと全然ちがう」
「外でもそうだったら嫌だよ」
 またハルは笑った。今度は少し声をあげて。
「……でもそうだな。面白い人だった。子供からしたらなんでも知ってるしなんでも出来るように見えた」
「素敵なお父さんですね。サラも、佐倉教授を尊敬してたから」
 ハルの右手が桜花の腹に回された。ひんやりした柔らかい手。
「私は父を知らずに育ちました」
 桜花は何も言わなかった。
「本当の母も知らない。でも大切な人はいました」
 水の跳ねる音だけが聞こえる中、ハルの手が桜花の心臓の真上にあてられた。
 声をあげそうになるのを必死にこらえる。
「ねぇ佐倉さん」
 鼓動がハルの手に伝わっているのを感じる。

「振り返ってくれますか」

 心臓が激しく脈打った。
 あてられているハルの手が鼓動と共に動くのが視認できるほどに。
 これがハルの言っていた「ハルも桜花も逃げられない状況」、それを必要とする話をするときなのか。
 桜花は、大きく深呼吸をした。
 そっと、自分の胸にあてられているハルの手を取り、その細い手首に触れる。
 感じる。彼女の脈も、相当に早まっている。
 ハルがなぜこんなに緊張してまで、こんなことを言うのか桜花にはわからない。
 わからないが、その覚悟を踏みにじることはできない。
「……わかった。じゃあ、振り返るよ」
 桜花も覚悟を決めるしかなかった。
「はい」
 桜花は掴んでいたハルの手を放した。
 そしてゆっくりと体を反転させた。
「――」
 視界に映るのはただ肌色。
 長い脚、引き締まったウエスト、大きくて形のいい胸。
 その一切が、タオルも手も隔てず桜花の目に収まっていた。
 正しい呼吸のリズムを忘れてしまように桜花の口からひゅっと不自然な音が漏れた。
 思わず触れてしまいたくなる衝動を抑えながら、一点の違和感の正体に気づく。
 羞恥に染まったその顔に星型のペイントはない。
 さっき見えた胸元のペイントも今はない。
「佐倉さんには、どう見えますか? 私のからだ」
 代わりにあったのは傷跡。
 目の下には焼け爛れた跡。胸元にはえぐれた刺し傷。
 その白いからだのあちこちに消えない傷が刻まれていた。
「これ、飛行機から落ちた時の傷なんです。両親はその時からずっと行方不明。2歳かそこらだったんで、何も覚えてませんけど」
 言葉はあっさりしていたが、その体はその時の凄まじさを雄弁に語っていた。傷の幾つかは素人目にも深く、惨い。
「私と兄は奇跡的に生き残って、右も左も分からないまま異国の集落で保護されました。それからしばらく後になって、世界を巡っていたサラの養子になったんです。お母さんって感じとは違いましたけどね」
 サラ・ジュリア・フィッツジェラルドの写真は見たことがある。若く美しいこともメディアで話題になったからだ。実際年齢もハルと二十は離れていないだろう。
「世界をめぐるサーカスでの生活は豊かでは無かったけど、楽しかった。それも長くは続きませんでしたけど」
 少しだけ沈黙が挟まった。
 その後どうなったのかは、桜花も知っている。
「フィッツジェラルドランドの話が決まった時、サラは本当に嬉しそうでした。結構サーカスも存続の危機だったんですけど、恩師の佐倉教授のおかげで今度こそ本当の家ができるって。それなのにサラはフィッツジェラルドランドの完成前にどっか行っちゃって、兄もあの事件で……」
 一筋。
 その目から、静かに涙が流れた。
 嗚咽しているわけでもない。ただ涙だけがすーっと流れていく。涙は胸に落ち、傷跡を伝って胸先から地面に落ちた。
「今、私幸せだと思います。ライブステージに立つのだって楽しいし、Duskも居心地が良いし友達だっている。ときどき、ずっとこのままでいいんじゃないかって思うくらい。――でも、やだ」
 その声は水のように桜花の心に染み入る。
「このままじゃ、やだ。このまま安定しちゃうのが怖い。心の穴がふさがるのを認めるわけにはいかない」
 白い指が胸の傷跡を何度もなぞる。
「あのペイント、サラが考えてくれたんです。せっかくだから可愛いペイントで隠そうって。それ以来、サーカス団を辞めた今でも、毎日描いてます。サラが教えてくれた通りに」
「胸に刻み直すために?」
 桜花には、わかる気がした。
 ふとした瞬間に、普通に笑っている自分を自覚する。
 寝る前に、一度も考えていなかったことに気づく。
 いるはずの人がいないことが自然になってしまっている。
 7年という歳月はそれだけの時間だった。
 自覚するたびに、傷をえぐってでも思い出そうとする。その時の絶望や悲しみを。
 そしてそのたびに、どうしようもなく薄れていることに気づいてしまうのだ。
「……桜花さんに、見せて良かった」
 きっとそれは傷のことだけじゃない。
「……あのさ」
 桜花は微かに潤むハルの目をまっすぐに見た。桜花も裸の気持ちを伝えたい。そう思うと、不思議と裸のハルを前にしても落ち着いていられた。冗談だと思っていたが、これこそ裸の付き合いかもしれないと思った。
「サーカスにいたって聞いたとき、ハルは俺よりずっとひどい目にあって、次元が違う苦しみを味わってきたんだろうなって漠然と思ってた。でも悲しみって比べられるものじゃないなって話聞いてて今更思った。悲劇的なことも、それをどう感じるかも客観的になんか測れないんだし」
 あの砂浜で亜癒に気付かされた思い。きっとハルとも通じる思い。
「7年は長くて、悲しみも思い出も薄れてるし、今は平気で日常生活だって送れる。片時も忘れないとか思ってても考えてない瞬間なんていくらでもある」
 桜花は思い切ってハルの手を握った。ハルは少しだけ驚いた顔をした。構わず桜花は思いつくままに口を動かす。裸の言葉を紡ぐ。
「でも消えない。心の奥底に焦げ付いたように残ってるっていうか、もしかしたら空いた穴に膿が溜まってるっていう感じが近いかもしれない。そんな気持ちをハルも感じてきたっていうなら、きっと俺たちは」
 ハルは顔で桜花を見上げて、その手を強く握り返した。
「同志」
 二人の声が重なった。予期せぬ二重奏の余韻が浴室に響く。二人は照れたように微笑み合い、

 ハルは桜花の体を引き寄せて抱きしめた。

「…………」
 引き締まった二の腕の感触と、柔らかい胸の感触。そしてその体温。
 桜花はこれだけ大きな胸を隔てても鼓動が伝わるのだということを初めて知った。
 首筋を吐息がくすぐる。
 そのリズムは、桜花と同じく不規則に揺らいでいた。
「取り戻しましょう。一緒に――」
 その先に続く言葉は無かった。
 かわりに桜花の背中を、シャワーとは温度の違う水滴が伝っていった。




7.


 冬の寒空に白い息が吐き出される。
 夜色のロングコートを着込んだ灰色の男が、コンクリートの塀に肘を乗せ、僅かな街灯に照らされた海岸をぼんやりと眺めていた。
 そこへ後ろから声をかける男がいた。
「やぁ板堂」
「……坂本先輩」
 白衣をなびかせて、坂本は微笑んだ。いつも微笑んでいて解りづらいが、今日はやや満足げに見える。
「いやぁ良いものが見られたよ。弓か。予想外だった。きっとまだまだ色々なものに変化するんだろうね、あれは。成長が楽しみだ。――ところで」
 坂本が片目を閉じて問いかけた。
「いつから僕が裏切っていないとわかってた? 今回の件は完全に僕の独断だったのに」
 板堂は坂本に背を向けたまま平坦な声で答えた。
「最初から9割方。ハルと佐倉を戦わせるなんていう完全に無駄な手順を踏んでいる時点で、それが見たいだけだということは予想できました。確信したのは奴を護衛するロボットを見てです。あの配置はどう見ても護衛ではなく逃げ道を奪うためのものだ」
「なるほどね。しかし何故僕をかばうような発言をしたんだい?」
「今佐倉桜花にDuskに対する不信感を抱かれてはたまりません。彼には期待しているのですから。それに本音を言えば、あなたには感謝しているんです」
「感謝? へぇ?」
 板堂はちらりと坂本を見遣った。
「陰陽桜の力を引き出させるためには、貴方がやったような方法が手っ取り早いのは間違いない。私にはできないやり方だ。立場上、あまり彼に疑われるわけにはいかないんでね」
「立場上、ね」
 含み笑いをしながら坂本は踵を返した。
「まあ僕は好きなようにやるだけさ。期待してるよ、もっと楽しい舞台になるようにね」
 板堂は去っていく坂本を見送ると、再び海岸へと視線を戻す。その顔には、ニヤリと不敵な笑みが浮かんでいた。
「なりますよ……心配せずともね」
 その視線の先に。
 ぬるり、と影がうごめいた。






 ★




「いよいよ役者が揃ってきたって感じだよね」
「あれが、板堂聖派くんですか。それに、佐倉桜花くん。無視できない存在のようですね」
「Dusk。なかなか面白そうだ。彼らがDuskなら、私たちは何でしょうかな?」
「彼らが夕闇なら、ボクたちは夜明け――」


「Dawn、なんてどうかな?」


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Author:黒ザトー
小説『Dusk』ゆるりと更新中
並びにボイスドラマ企画『Dusk ep0 ゆめのせかい』
企画中


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