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Dusk6後編

ホワイト・ファング後編です





6.

「ハルさん、ですよね?」
「そうだけど……。あなたは?」
 ハルが昼寝から目覚めて外に出ると、家の玄関の前にゴスロリ衣装に身を包んだ小柄な少女がたたずんでいた。
「エイミの友達です。いまエイミが大変なんです!」





「大丈夫なのですか? 本当に佐倉一人に任せて」
 板堂聖派はモニターから目を離さないまま問いかけた。
「あいつなら心配無いさ。あの程度の連中に負けるほどヤワな鍛え方はしちゃいない」
 今しがた向かい側のビルから様子を伺っていたホワイト・ファングのメンバーを捕縛してきた店長はよっこらせと椅子に座った。
「いつの間にそんな特訓を?」
「いいもん持ってると思ったんでな。ちょっくら寂しいおじさんの趣味に付き合わせちまっただけさ。俺の趣味は熱いバトルと熱いラーメンだけでな」
 数多のモニターに囲まれた管制室で、板堂と店長の視線の先にあるモニターには桜花とホワイト・ファングが戦っているエントランスホール映っていた。
 険しい板堂の表情とは対照的に店長は実に楽しげだ。
 この数ヶ月の間に、桜花は店長に体術の指南を受けていた。元からかなり高い身体能力を持っていた桜花は戦い方を覚えて格段に強くなっただろう。その戦いぶりを店長が楽しみたいのはわかるが、板堂はそもそも桜花に戦わせること自体あまり賛成できなかった。そもそも板堂や店長が出れば一瞬で終わる仕事だというのに。
「ですが子供といえども相手は『ホワイト・ファング』のトップ3。それを超能力者になって数ヶ月の桜花が三人同時に相手をするなど——」
「おいおい。他ならぬこの俺のお墨付きなんだぜ?」
 店長の言葉に驕りはない。板堂は嘆息する。
「……失礼しました。確かに店長の言うとおりです」
 確かに店長の言う通りだと思い直して板堂は謝罪した。
 店長はこと接近戦においては板堂でさえ勝てないほどの強者だ。料理と喧嘩の実力を見誤ることはないだろう。
「まぁ確かに戦いに絶対はない。万が一のことがあればピンチになってから助けに行けばいいさ。お前なら余裕で間に合うだろう? それに俺があいつ一人に任せたのは、何もただあいつの力を見たいからってだけじゃない」
 店長は一つのモニターを指差した。それはビル内の映像では無いどこかの屋内を写している。
「俺たちは『正義の味方』なんぞを警戒している場合じゃないだろう?」


7.

「《イグナイト・ゼウス・オーバーロード》!!」
 カズの右腕の光が強まり、矢として放たれずにそのまま右腕に宿る。
 過剰にチャージさせ、腕に迸らせた状態で近接戦闘を行う、《神雷の右腕》のもう一つの戦い方。カズはそのまま全速力で走りより、佐倉桜花に殴りかかった。
 軽やかなステップでかわす佐倉桜花。だが右腕からほとばしる電光にわずかに目を細める。
 そう、拳の威力を高めるだけが《オーバーロード》の力ではない。まばゆい閃光は当たらなくとも相手の目を眩ませる。
 桜花の目にダメージが入ったのを見て取り、カズは大ぶりな動作でボディーブローを放つ。
 当然のように防がれるが、それこそがカズの狙いだった。
「うぉおおッ! 《ライノライズ》ッ!!」
 ケンタロウが桜花の左目側から橙のオーラを纏い、超人的な速度で突進した。
 《魔犀降霊-ライノライズ》は光のオーラを身にまとい、超常的な速度と硬質化した体を得て自らを猛進する犀と化す、物理的威力では最強の能力。直線的な動きしかできず、発動には大声での技名詠唱が必要だが、複数人であればその弱点も克服できる。自身の体力を大きく削るもろ刃の剣だが能力自体はカズやエイミほどチャージ時間を必要としない。使用者の体力さえ持てば連続での使用も可能である。ケンタロウはこの日のために日々鍛錬を積んできた。
「《陰陽桜》」
 だがその瞬間突風が巻き起こった。
 カズはその時になってようやく気付いた。拳を防いだ桜花の武器は刀ではなく、扇子の姿に戻っていることに。
「突風程度で軌道を変えられるほど《魔犀降霊》は甘くない!」
 だが結果としてケンタロウの突進は桜花にかすりもしなかった。
 カズはまたしても遅れて気付く。
「こいつ……自分を!?」
 桜花の起こした突風はケンタロウを狙ったものでも、ましてカズを狙ったものでもない。桜花自身を数メートル後ろに運ぶためのものだったのだ。
 弾き飛ばさないために威力調節した拳——それを見た時点で横からの奇襲をも予見して見せたのか。視界を半ば封じられた左側からの攻撃に判断力だけで対応してみせるとは、やはり只者では無い。カズは改めて桜花を脅威と感じた。
 だがそれでも数の差は埋められない。避けられた時点ですでに、カズの右腕は光の矢を射る体勢になっている——!!
「《イグナイト・ゼウス》!!」
 だが射る直前、リノリウムの床を突き破って何かが伸びた。それはカズと桜花の間に壁となってそびえ立ち、光の矢を受け止めた。
「バカな——!?」
 役目を果たし、焼け焦げたそれは桜の樹の根だった。何本も絡まり、盾となるために強化されたそれは、見事桜花を守り切った。
「この刀も、樹も、『陰陽桜』だ」
 完全に油断していた。
 入ってきた時に目に入った桜の樹。すでに桜花は能力を発動させていたのだ。この季節にほぼありえない“花を咲かせた桜の樹”を、もっと警戒するべきだった。
「カズ!!」
 エイミの声で我に帰る。桜花の刀が眼前に迫っていた。
 ——まずい、かわしきれない……っ!
「《ラプソディア・フラッシュ——オーバーロード》ッ!!」
 エイミが叫んだ。
 その時急に眼前に迫る刀がスローモーションのように遅くなった。
 ——違う、スローどころか止まっている。
 桜花の目も驚きに見開かれていた。
 エイミの力——カズの体を包む蒼い燐光が刀を止めていた。
 オーバーロード……過剰チャージによる莫大な出力が刃を阻むほどの強度を持ったのだ。
「この好機、無駄にはしないッ!!」
 カズの拳が桜花の腹に炸裂した。
「ッ……!」
 声にならない声を漏らして桜花が一歩後退する。
 咄嗟だったためメリケンサックをつけていない右腕が出てしまった。その上オーバーロードの副作用によりイグナイト・ゼウスはまだ再チャージされていないため、ただのパンチでしかない。だが初めて入ったまともなダメージだった。
「《ライノライズ》!!」
 好機と見たか機をうかがっていたケンタロウが再度飛びかかろうとする。だが一歩目を踏み出せずにそのまま倒れた。
 いつの間にかその脚は樹の根によって絡め取られていた。先の空振りで威力が高いケンタロウの技は警戒されていたのだろう。あくまでケンタロウの能力は突進力を増すもの。始点で止められてしまっては全くの無力。完全に見切られていた。
 だがカズの一撃でよろめいている今が大きな隙であることに変わりはない。カズは飛び上がって追撃の拳を放った。
「《陰陽桜》」
 意外にも桜花は一切の回避行動を取らなかった。
 だが次の瞬間カズはその意味を痛感した。
「ぐっ……!!」
 その攻撃で痛みに顔を歪めたのはカズの方だった。
「鎧……だと……!?」
 桜花の声に呼応して刀だったその武器は鎧となって上半身を覆い、カズの拳を弾いたのだ。硬いものを殴った激痛が拳から腕に、腕から肩に伝わっていく。
「ハル流に言うなら、変身ってやつだ」
 改めて変幻自在の武器に脅威を感じる。
 ——だがここで引くわけにはいかない。
 過剰発動の副作用で本来なら再チャージされないが、倒れる覚悟で無理やり力を振り絞り、ゼロ距離で放てばダメージは与えられるはず。
 痛みに歯を食いしばりながら、わずかに輝く右腕に力を込めて叫んだ。
「《イグナイ——》」
「遅い!」
 だが次の瞬間天地がひっくり返っていた。
 桜花の強烈な足払いによって転倒させられていたのだ。
 そのまま再度刀になった桜花の武器が、がら空きになったカズに振り下ろされ——
 命の危機を感じたカズの視界がスローモーションのようになる。
 一瞬視界の端にエイミが映った。おそらくカズを安全なところに転移させようとしている。
 桜花の刀には勢いがなかった。殺す気はないのだ。首元にでも突きつけて降伏を促すつもりだろう。
 また、負けたのか。
 イグナイト・ゼウスはもう発動できない。
 無様に降伏を受け入れ、またあの時のように尻尾を巻いて——

「うらぁああああああッ!!」

 桜花の表情が硬直した。
 エイミも転移を発動しようとして口を半開きにしたまま固まっている。
 カズの手から深紅の血がポタリと垂れ、カランと音を立てて真っ二つに割れたメリケンサックが落ちた
「まだ……負けてねぇっ!!」
 威嚇のために振り下ろされた刀を、左手のメリケンサックで力任せに殴ったのだ。骨が折れていないのが逆に幸運なくらいだろう。だがそれでも構わない。
 能力も武器もなくて構わない。目の前の男に最後まで立ち向かいたい。今のカズにあるのはただそれだけだった。
「武器なんかいらない……俺はまだ立てる! まだ戦える!!」
 桜花はそんなカズの鬼気迫る表情を見て不敵に微笑んだ。
「……面白い」
 そして刀を投げ捨てた。
「ちょっとだけ分かった気がするよ。店長の言ってたことが」
 それは自ら有利を捨て、カズとのステゴロ勝負に乗るという意思表示。
「エイミ、ケンタロウ。手を出すなよ」
 血を振り払い、目の前の強敵に向かって改めて拳を構え直す。
 今までの戦いを見て格闘もかなりのものだとわかっている。
 だがカズも負けるわけにはいかない。

 超能力も武器もない、原始の戦いが始まった。



8.


「エイミちゃんが行方不明!?」
 リズの後に続きだながらハルが慌てた様子で聞いた。
「リズも何があったのかはわかりません。聞き込みをしてたら6時頃ここに入っていくのが見えたって……それが最後だって。何か心当たりありませんか?」
「……ごめん特に無いの。公園で偶然会って一緒にお茶飲んでただけだから。私も一緒に探すよ! エイミちゃんに何かあったら大変だし」
「ありがとうございます。心強いです」
 あっちこっち駆け回るうちにいつしか二人は川沿いの倉庫の前にたどり着いていた。
 そこでリズは突然ピタリと立ち止まった。
「どうしたの?」
 視線の先には、画面の割れた携帯電話が落ちていた。
 リズが震える手で拾い上げて裏面を見る。
「このシール……やっぱりエイミの携帯」
 そして顔を上げた先には、真っ黒い口を開けている倉庫。
 見るからに溜まり場になりそうな場所だ。
「ここで待ってて、私が見に行く!」
 リズにそう言って、ハルは倉庫の入り口へと急いだ。
 そして倉庫の中に入ると、中高生くらいの若い男女がくつろいでいた。
 彼らは突然入ってきたハルを見て驚愕をあらわにした。
「な、なぜ水の歌姫がここに!!」
「Duskにここが割れていたのか!?」
 ハルがDuskだと知っている。ハルは警戒心を引き上げた。
「エイミちゃんがどこに行ったか、知ってることを話してもらうよ!」
「は……? 副リーダー?」
「Duskと交戦中じゃないのか!?」
「いやまさか本当はハルさんDuskじゃないんじゃ……」
「カズさんもお世話になってるって言ってたし……?」
 ハルの言葉をきっかけに、男女の間に困惑した空気が広がっていく。戦意もどこへやらといった様子だ。
 何かがおかしい。彼らがエイミをさらったのではないのか?
 その時ハルの首元で何かが弾けたような音がした。
「ッぐ——!?」
 遅れて痺れるような感覚が身体中に広がっていく。
 これはあの時ルキオにさらわれた時にも経験した感覚。
 とうとう立っていられなくなって膝をついた。
「……き、君は……」
「ごめんなさいねぇ〜? 正面から戦うわけには行かなかったの。なにせ手荒な真似はなるべく避けるようにって言われてたから〜?」
「リズちゃん……騙したの……? エイミちゃんも、あなたが……」
 リズは倒れそうになったハルの体を優しく受け止めてうっとりと微笑んだ。
「ああ……待ちわびたわ……この時を。とってもいい匂い」
 リズは頬を赤らめ、息を荒げながら気絶したハルの頬に控えめに口づけした。
「おやすみなさい。後でねぇ? ハルちゃん……」
 その瞳は金色に輝いていた。



9.


「はッ!」
 カズの拳が勢い良く空を切る。
 ——当たらない。
 さっきからこの至近距離で何度も会心のパンチを繰り出している。
 だが桜花は最低限の動きでかわし、受け流している。
 何発打っても、その全てが見切られている。
 力も体格もカズが上回っているはずなのに。
 何故——!?
「君は真っ直ぐすぎる。君もそこの《ライノライズ》の彼も、当たれば確実に俺を倒せる能力があるのに勝てないのはそのせいだ。店長が言ってた、柔能く剛を制すってな」
 放った拳がいなされ、足を払われまた地面を転がされる。
 すぐに立ち上がるが、今や桜花の目は憐れみに満ちていた。
「今日は退け。今の君ではここが限界だ」
「うるさいッ……限界なんて知るもんかッ!!」
 もはや桜花は避けもしなかった。立っているのもやっとの状態で放った拳はあっさりと受け止められる。
「なんで俺がここで一人君たちを迎え撃ったか教えようか」
「何……?」
「それは俺がDusk最弱だからだ」
「お前が……最弱!?」
 三人を相手に互角以上の桜花がDuskの中では最弱。それはにわかには信じがたいことだった。
「板堂とハルは知っているな? 当然あの二人は俺より強い。そして一人で千の軍勢を操る能力者と、能力を持たず素手であらゆる敵を倒す人もいる。はっきり言って俺はDuskの中では戦力にも数えられない雑兵だ。そして」
 腕を取られ、投げ技で地面に叩きつけられる。
「その俺に、君は勝てない」
 ぐわんぐわん鳴る頭を押さえて、カズは意地で立ち上がった。
「まだ……負けてない! とどめをさせ、情けをかけるな!」
「…………」
 すぅっと桜花の目が細められた。
「……確かに、過ぎた情けは侮辱に等しいか」
 そのまま拳が振り上げられ——

「だめぇえええっ!!」

 次の瞬間、カズはエイミの腕の中に抱かれていた。
 見かねたエイミによって転移させられたのだ。
「無理だよ……ただでさえオーバーロードを使った負荷が大きいのに佐倉桜花とまともに戦えるわけないじゃない……!!」
 エイミは絶対に行かせないという意思表示のようにカズの肩を痛いくらい強く掴んでいた。
 だが、そうされるまでもなくもはやカズは動けずにいた。実際立っているのもやっとの状態だったカズにもう一度立ち上がる余力はすでになかったのだ。
 —完敗。
 その言葉がカズの頭を埋め尽くす。
 オーバーロードの負荷があろうとなかろうと、この決着に変わりはなかったと断言できる。
 届いたのはたったのパンチ一発。
 それもエイミのバックアップがあってこそ。
 結局のところ三人がかりで全く歯が立たなかったのに他ならない。
 その上桜花の話が本当なら、まだ相手方には板堂だけでなく何人もの化け物が控えているのだ。
 ——あいつが雑兵なら、俺は一体なんだ……?
 カズは悔しさに唇を噛み締めた。
 桜花は武器を拾い上げ、出口を指さした。
 負け犬は去れ、ということだろう。

「あなたは、何のために戦っているの?」

 エイミが涙のにじんだ目で佐倉桜花を睨みながら呟いた。
「ハルさんは、あなたのことをかけがえのない同志だと言っていた。あたしはハルさんを尊敬してる。あなたも、3対1なのに正々堂々戦った。カズの素手での勝負に、自分も武器を捨てて付き合ってくれた。悪い人には思えない。なのに、なんで板堂聖派なんかに味方するのッ!?」
 激情のままに叫ぶエイミを、佐倉桜花は冷ややかとも言える表情で、ただ黙って見つめていた。
 何も言わない桜花に、エイミはなおも続ける。
「あたしは、あたしたちホワイト・ファングは、板堂聖派のように力に任せて弱いものを踏みにじる悪を倒して平和をもたらすんだ。あなたのような強い人が平和のために力を使えば、どれだけの人が救えるか——!」
「俺は平和のためなんかに力を使う気はない」
 いきりたつエイミの言葉を桜花はばっさりと切り捨てた。
「どうして——!?」
「お前たちの目に板堂や俺、ハルがどう映ってるかはわからない。けど超能力があっても俺はただの学生だし、ハルや板堂だって似たようなもんだろう。だから自分のやりたいようにやるし目に映らない範囲の平和なんか知らない。それが悪に見えるって言うんなら何度でもかかってくればいい」
 桜花は今一度刀を構えて見せた。
「負けてなんかやらないけどな」
 カズもエイミもケンタロウも、その瞳の迫力に圧倒されて何も言葉を返すことができなかった。
 しばらくの沈黙の後、カズはゆっくりと首を振った。
「……撤退する。俺たちの負けだ」
 桜花はカズに向かって頷くと、ケンタロウの脚を木の根から解放した。わずかに距離を取り武器を向けてはいるが、こちらが妙な動きをしない限り攻撃してくることは無いだろう。
 相手は正々堂々自分たちと戦った。その上で自分たちを下したのだ。その事実と、そしてさっきの言葉が、なんだかよくわからない感情としてカズの胸にのしかかった。
 カズの目に映る板堂聖派は情け容赦のない悪魔そのもので、ハルは尊敬できる先輩、桜花は誇り高い戦士のようだった。そこが仲間だというのが、頭の中で結びつかない。
 だが桜花は、自分たちが年相応の若者にすぎないといった。
 カズの中で急激に「正義」「悪」、そういった言葉がふやけて輪郭を失っていくように感じた。そのまま自分自身すら見失ってしまうそうで、崩れ落ちそうになる、
 だがふと、温かい感触が自分を包んでいることに気づいた。いつのまにかエイミに抱きしめられていたのだ。そのぬくもりによってかろうじて自分の輪郭が保たれている。そんな気がした。
「カズ、頑張った。頑張ったよ……」
 声で泣いているのがわかった。
 カズは何も言うことができなかった。
 ただ黙ってエイミの手を取り、立ち上がった。よろけたところを逆にエイミに支えられ、なんとか出口を目指す。
 ケンタロウも縛られていた足首をさすり、悔しそうな表情を浮かべながらカズの横に立った。
「——まあ待て。そう急ぐこともあるまい」
 その行く手を、灰色の悪魔が阻んでいた。
「板堂……聖派……!!」
 逆光を受けてもなお禍々しく赤く輝くその瞳。
 情けなくも、カズは自分の足が震えているのを自覚した。
 やはりその姿は悪魔そのもの。
 ——わかっていたはずだ。ここに乗り込んで、勝利以外に生きて帰る手段などないと。
「う、うぉおおお! 《ライノライズ》ッ!!」
「よせケンタロウ!」
 錯乱したケンタロウが板堂に突進する。
 だが板堂は当然のように腕を組んだまま一歩も動かず、もちろん攻撃が届くこともなかった。
「ぐぅッ…!?」
 突如赤黒いグリッド状の壁が出現し、魔犀と化したケンタロウを難なく受け止めた。そして壁から赤黒い電流がほとばしりケンタロウは苦悶の声をあげて意識を失った。
「やれやれ、佐倉に負けたばかりだというのに元気の良いことだな。活躍できなくてエネルギーが余っていたのか?」
 板堂は口元に笑みを浮かべたままゴミを見るような目でケンタロウを一瞥した。
 ——このままじゃケンタロウが殺される。
 そう直感したカズはケンタロウを背にかばって板堂の前に立ちはだかった。
「殺すなら、リーダーである俺だけにしろ」
 カズはくじけそうな心でなんとか赤い目を直視し、精一杯の虚勢を張った。
「その時はいっしょだよ、カズ」
 エイミもカズの隣に駆け寄り、涙をためた目で微笑みかけた。
 恐怖をおしてまでそう宣言してくれる仲間がいることを、改めて誇らしく思った。
 そんな感傷を、板堂聖派の高笑いが台無しにする。
「君たちは若く、勇敢だ。殺しはしない」
 板堂が合図を送ると、後ろで桜花が武器を構えたのがわかった。
「管制室まで一緒に来てもらおう」

 従うままに連れてこられた管制室には、先行部隊のケイとジュンがいた。向かいのビルから視察していたはずなのに、ばれて捕まっていたのだ。
「カズさん! エイミさん!? ああ、そんな……」
 二人は板堂にカズたちが連れてこられたという状況の意味を理解し、呆然とした顔でがっくりとうなだれた。そんな団員の表情が、なによりもカズの心をえぐった。
「そんなことより、これを見てもらおう」
 板堂聖派が無数のモニターのうちの一つを指差す。今起動しているのは一つだけだった。
「何を見ろって——」
 その瞬間、カズは顔を強張らせた。
 そこに映っていたのは悪夢だった。
「さて、流星のホワイト・ファングのリーダーくん」
 板堂聖派は能面のような無表情で冷たく問いかけた。
「これが君たちの正義か?」
 カズは自分の目に映る光景が信じられなかった。
 管制室のモニターに映っているのは自分たちが根城にしている倉庫。
 そして手足を鎖で縛られて吊るされたハルと、それを恍惚とした表情で眺めているリズの姿だった。



8.


 どれくらい経ったのだろう。
 まだぼやけた視界の中体を動かそうとするとジャラリと音がして体の動きを阻害された。当然のように腰のベルトは外されている。
 ——またこのパターンか。
「お目覚めですか〜?」
「これは一体何の真似?」
 まだ体が痺れていてうまく力が入らない。
 今倉庫の中にはハルとリズしかいなかった。その上さっきは開きっぱなしだった鉄の扉はしっかりと閉じられている。
 目の前の小柄な少女はゴスロリのひらひらしたスカートを恭しく持ち上げて一礼した。だがその表情は上品さとは懸け離れた愉悦の笑みで上気している。
「改めましてわたくし、『流星のホワイト・ファング』のメンバー、リズと申します。うふふ、この日をどれだけ待ったかしら!」
「私を人質にするつもり?」
「まさか人質だなんて! そんなことしませんよう。だってリズの目的は最初からあなただけなんだから」
「……私が目的?」
 壮絶に嫌な予感がしてハルの全身に悪寒が走った。
「今日『ホワイト・ファング』はDuskに決戦を挑みます。ご存知なのではなくて?」
 ハルは黙って睨みつける。そのことは知っていた。
 ということはハルはこの少女の安い罠にまんまとはまり、戦力からあらかじめ除外されたというわけだ。
 桜花の心配はしていない。今日は板堂や店長も同じ場所にいるはずだからだ。
 そもそも『ホワイト・ファング』の企てを板堂に聞かされ、受けて立つように進言したのはハルだ。後輩が何かをしたいという時にその行動を無下に否定するだけなのは先輩として何か違う。真っ向から受け止めてあげられれば負けるにしろエイミやカズにだって得るものがあるだろう。そう思っての行動だった。
 ハルと彼らが知り合いであり戦いづらいであろうことからその役目は桜花が引き受けてくれることになった。ハルは自宅待機していたのだが、まさかまっすぐな二人がトップを務める組織にこんな汚い真似をしてくるやつがいようとは。はっきり言って油断していた。彼らの組織も一枚岩ではないらしい。
「カズたちが無駄な戦いを挑んでいる間、あなたのお相手を頼まれましたの。手荒な真似はなるべくしないでと言われましたので、戦闘を避ける方向で動かせてもらいましたわ」
「倉庫に縛って拘束するってのは手荒な真似じゃないんですかね」
 しかし汚いとはいえ理解はできる。戦力から除外するために別の場所で拘束するというのは定石だ。しかしこの少女にはそれ以上の何か邪悪なものを感じる。
「直接お会いしたことこそありませんでしたけどぉ、何度かライブにお邪魔してリズ思いましたの。こんなに美しく、可愛らしく、愛おしい方は他にいないわって」
 そしてその予感はどんどんと強くなっていった。
 そもそも会話が繋がらない。
 この少女、何か変だ。
 いくら戦略とはいえ初対面のハルを倉庫に縛り付ける時点でまともではないのだが、それ以上にハルを見るその目だ。
 なんだか必要異常に熱を帯びているような。
 遅れてハルはリズの言った言葉を認識する。
 ——美しく可愛らしく愛おしい?
 その言葉を疑問に思った矢先、リズは動けないハルに近寄って、ペイントに隠された傷跡のある鎖骨をぺろりと舐めた。
「っ!?」
反射的に動ける限り身を逸らしたハルを情欲に濡れそぼった瞳で見つめる。
「あなたを独り占めしたいの。愛しの歌姫ちゃん……」
 あまりのことにハルは顔を真っ青にしたまま硬直してしまった。
「びっくりさせちゃったかしら? そんな顔も可愛いわ。大丈夫、ホワイト・ファングの仲間たちはきっとしばらくは戻ってこない。もし戻ってきてもリズの敵じゃないもの」
 そういってリズは一瞬周囲に視線を送った。その瞬間ハルの頭の中で何かがつながった。限りなく嫌な方向に。
「……あんたまさか」
「リズはあなたと二人っきりが良かったからぁ、他のみんなには適当な理由をつけて帰ってもらったわ。女の子同士でお話ししたいこともあるし、ね?」
 間違いない。このリズという少女は。
 完全にハルを“そういう目”で見ている——!!
 リズは名残惜しそうにハルの首筋に舌を這わせた後、何を思ったか数歩後ろに下がった。
「ハルちゃんには見せてあげる、リズの能力。そのかわり、あなたの全てを、リズにたっぷり見せてぇ……?」
「……!!」
 次の瞬間、大量の黒い甲虫が床を這い回り、鎖に縛られて身動きの取れないハルの体によじ登ってきた。
「っ〜〜!!」
 ブーツとソックスは気を失っている間に剥ぎ取られていたようで、ショートパンツ姿のハルのむき出しの脚を埋め尽くす勢いで虫が這い回る。あまりの気持ち悪さにハルは声にならない悲鳴をあげた。
「ああそれッ……その怯えた顔……! ほんッとうにたまらない……」
 恍惚としたリズに呼応するように虫の動きが活性化する。
「リズ、もっとハルちゃんのいろんな顔が見たいなぁ……?
 リズの瞳が一際強く金色に輝くと、虫の這い回る感覚がよりダイレクトに襲ってきた。虫の数が増したのか、服の中に潜り込んできたのか。
 いやそうじゃない。
 服自体が食われている。
「喰らい尽くすまであと20秒もかからないわ」
 食い残しのファスナーやボタンが地面に落ちてちゃりちゃりと音を立てる。
「ああ……なんて美しいの……! 全身を直で虫が這い回る感覚に必死に声を我慢してるその健気さ、たまらないぃ……!」
 言っている間にも徐々にハルの全身が蹂躙されていく。
 確かにハルの忍耐ももう限界に近づいていた。身体中の古傷が異常事態をひっきりなしに警告してくる。
「この……へんたい!」
「いやだなぁハルちゃん。今は怒った顔より恥ずかしがってる顔が見たいの」
「ひん剥かれた程度じゃ恥ずかしがってなんてやりませんよ!」
「悪い子……これならどう?」
「——ぁッ!?」
 首筋に鋭い刺激が走り思わず苦悶の声を漏らしてしまった。どうやら身体中を這い回る虫の一匹に咬まれたようだ。案の定目の前の少女は頬を上気させて悦んでいる。
「あぁなんていい声……! もっと痛いところ咬ませちゃおうかなぁ?」
「随分なことしてくれるじゃないですか。ホワイト・ファングは正義の味方じゃなかったんですか?」
「リズにとっては愛だけが正義よ。ホワイト・ファングよりも何よりも、リズはリズの愛を優先する」
「こんなの、正義なわけない」
 全身を虫に弄られ消耗しながらも、毅然とした態度でハルは続けた。
「まして愛なんかじゃ絶対ない! ——ぐッ!!」
 足の裏を咬まれハルはたまらず体を跳ねさせた。
「でもリズはこれしか愛し方を知らないの……だからリズにとっては、これこそが絶対に愛なの!!」
 リズの瞳の輝きが一段と増し、虫がさらに増殖していく。
「《底無しの欲望——グリード・スカラベ》——それがリズの能力の名前。リズの欲望に呼応して無限に湧き出す虫は、リズの欲望が深くなればなるほど進化していくの」
 リズの猫なで声に同期するように、虫が穏やかな動きでハルの全身を撫でていく。
「欲望ってつまり愛って意味でしょ? だから今ハルちゃんの全身を覆う虫はリズの愛そのもの。その心と身体にもっと刻んであげる」
「ひとつ聞かせてください」
「なぁに?」
「エイミちゃんは無事なんですか?」
 リズはエイミの壊れた携帯をかざし、にまぁっと口元を歪めた。
「教えてあげない……」



10.


 エイミは画面を見て呆然としていた。カズも同じように絶句している。
 エイミにとってもリズはいつも何を考えているのかわからない少女だった。
 でも彼女は実体のある幻影の甲虫を操るという超能力のせいで周囲から孤立し、苦しんできたはずの人間だった。
 当時のリズはまだ能力の制御が十分にできず、「虫女」と呼ばれ周囲から避けられていた。同じ超能力者だったエイミが理解を示すと、リズは積極的に活動に参加する気はないがホワイト・ファングに入団すると言ってくれた。
 そして今回、リズはいつになく積極的に計画への参加を表明してくれた。
 きっとようやくホワイト・ファングの理念に賛同してくれたのだと思った。
 だがリズの顔を見ればわかる。全てはこの為だったのだ。エイミのものに偽装したダミーの携帯まで用意しているとは、いったいどれだけこの日に備えてきたのだろう。 
 過激さを増していくリズの暴虐を前に、映像は切られ、音声だけが聞こえてくる。
 ハルはきっとエイミの安否を気遣って無抵抗でいるのだ。架空の人質であるエイミの身を案じて。
 エイミは悲しみに顔を歪めた。
「こんなの……正義の味方のやることじゃないよ、リズ……」
「果たして正義とは何か」
 板堂がカズとエイミに問いかけた。
「例えば彼女のように己の愛に準じているのなら、それもまた正義ではないのかね?」
 愛だけが正義だと画面の向こうでリズは言った。
『こんなの、正義なわけない』
「こんなの、正義なわけない」
 画面の向こうのハルの声とエイミの声が重なった。
「確かに自分のやりたいようにするっていうのは大事なこと……でもそのために他人を犠牲にするようなやり方をあたしは、ホワイト・ファングは認めない!」
 桜花に敗れ、仲間のおぞましい所業を見てショックを受けていたカズも、エイミの力強い言葉を聞いて、顔を上げて口を引き結んだ。
「——そうだ。手段を選ばなくなったら、どんなに正しいことのために動いてたってそれは正義の味方じゃない。正しいことを、正しいやり方でやる。綺麗事だって構わない。正しい『白』であり続ける。それが俺たちホワイト・ファングの目指した正義なんだ!」
 カズとエイミは顔を見合わせて頷きあった。
「こんな自分勝手に他人に押し付けるだけの愛が、正義なわけないです!」
「聞こえたか、ハル」
 突然板堂聖派が画面に向かって声を投げかけた。
『万事理解しました』
 まさか返答があるとはおもわず、カズとエイミは目を丸くして驚いた。
「驚くことはない。万が一に備えて通信機を設置しておいたまでだ。念のため佐倉が応援に向かってはいるが、君の無事を確認した以上リズなどハルの敵ではあるまい」
「板堂聖派……お前、まさか最初からこの状況を……?」
 板堂はそれには答えず、カズの目をその赤い瞳でじっと見据えた。
「なるほど正義の白か。道理でまっすぐないい目をしているわけだ。……だがな」
 ぐにゃりと板堂の口が歪んでいびつな笑みを形作った。
「君たちは真っ直ぐ過ぎるあまり、自らが高潔な『白』であるがゆえに、己の組織に巣食う魔物に気づけなかったわけだ」
 板堂が赤い目を光らせて意地悪く微笑んだ。
「何が……言いたい」
「君らは無意識に自分たちのような善人を基準に相手の思考を予測してしまう。それが同じ組織の仲間となれば尚のこと。『虫女』と呼ばれ、居場所をなくし歪んでしまったかわいそうな少女……君達がリズに抱いていた印象はそんなところだろう? だがそれはリズの本質ではない。リズは見ての通り反社会的な欲望を心に抱き、そのためなら能力すら嬉々として悪用する人間だと今の君たちははっきりわかったはずだな。そして今までだってそれに気づく機会はいくらでもあったはずだ。だが『きっと本当はいい子なんだろう』という勝手な思い込みが、その本質を捉えることを妨げていたんだ」
 カズは息を詰まらせた。
 「男嫌い」「個性的」と無理やり解釈してリズのエキセントリックな言動を一切真面目に考慮しなかったのは紛れも無い事実だった。
 エイミもカズも、リズの変貌を目の当たりにした今何も言い返せることがない。
「君たちのその在り方を否定はしない。だが君達に悪の心はわからない。悪の心がわからなければ真の悪は見えてこない。見えないものを根絶できはしない。それが君らの掲げる『正義』の限界なんだ」
「正義の限界……」
 限界なんてない。そう返したかったが、唐突にあるイメージが脳裏に去来して押し黙った。
 カズにとってDuskと板堂聖派は社会の闇の象徴だった。だが板堂聖派のさらにその向こう側には、もっとずっと深い闇が無限に広がっているのかもしれない。それこそ板堂聖派ですら触れることを恐れるような真の闇が。
 ホワイト・ファングが見たことのない、見ようとしたことすらない真の闇が。
「だから必要なんだ。我々という灰色が。Duskという組織が」
「灰色……?」
 それは悪でも正義でもないということなのか。
 それとも悪でも正義でもあるということなのか。
 今のカズたちには分からない。
 ただその瞳の奥にはドス黒い何かが渦巻いていた。
「そうそう、最後に一つ」
 異様な輝きを放つ目を閉じ、板堂は冗談めかして付け加えた。
「拾った犬の責任は持てよ。たとえそれが狂犬であってもな」



11.


『こんな自分勝手に他人に押し付ける愛が正義なわけないです!』
『聞こえたか、ハル』
「万事理解しました」
 ハルがにやりと微笑んだ。
「エイミちゃんが無事と分かればもう問題はありません」
「何!? エイミの声……どこから!?」
「Duskなめんなってことですよ」
 ハルの全身を碧い光が包み、体を拘束していた鎖ごと纏わり付いていた虫を弾き飛ばした。
「そんなッ……! ベルトは奪っておいたはず……!」
「詰めが甘かったですね」
 ハルがべーっと舌を出す。そこには碧い鍵が輝いていた。
 何が起きたかを理解し、リズがギリッと奥歯を噛みしめる。
「あらかじめ隠し持っていたってことですかぁ……?」
「そういうこと。それにしてもこんなにしてくれちゃって」
 辛うじて下着とイヤリングを残すだけの惨状にハルは心の底からため息をついた。
「そんなに裸が見たいなら見せてあげますよ、0.3秒だけね。——変身!」
 碧い光がハルの全身を覆うと同時にわずかに残ったボロ布が弾け飛び、一瞬ののちにバイザーをまとったくノ一のような戦闘衣装に姿を変えた。
「くっ……光ってて全然見えなかった……!!」
 本気で悔しそうな顔でリズが呻く。
「エイミちゃんの言葉で、これがほぼあんたの独断だってことはわかってます。よって少々懲らしめさせてもらいますが、覚悟はいいですね?」
「嫌っ! 絶対に嫌ッ」
 大量の甲虫が耳障りな羽音を立てながら飛翔し、ハルに襲いかかる。
「往生際が悪いですよ」
 だが一匹一匹の力が弱い虫がいかに群れたところでハルの水の結界を突破することはできない。
 もしリズの相手が佐倉桜花であったなら圧倒的な数の力で優位に立てたかもしれない。だがハルの範囲攻撃にはいくら手数が多くとも関係無い。最初から相性が悪すぎる。板堂が急を要するものと見ていないのはそういう理由であった。
「子どもとはいえ、あんたはやっていい限度を超えました。ちょっと痛い目見てもらいますよ!」
「や、やめてぇ!! 痛くしないでッ!」
 ハルの操る水の結界の一部が鞭のように伸び、リズに襲い掛かった。
「——なぁんてね?」
 その攻撃はリズに届く前に霧散した。
 それどころか気づくとハルはがっくりと膝をついていた。
「な——に——?」
 そのままうつ伏せに倒れこみ、維持できなくなった戦闘衣装が霧散する。
 突然体に力を入れることができなくなった。いったい何が起こったというのか。
「リズの虫をなめないでよね。大抵の虫は毒を持っているものなのよ? あれだけ咬めば、あなたの体内の毒を『発動』させるには十分だったわ」
 ハルは自分の迂闊さを呪った。リズの変態的態度に意識を取られ、相手の能力を軽んじていた。
 今覚えば目の前のゴスロリ少女は最初からハルが力を隠し持っているのを想定していたのかもしれない。案外服を剥いだのも隠し持った武器を警戒してのことだったのか。あるいは最初から場合によってはハルを本当の人質にするつもりだったのかもしれない。Duskの増援を警戒して。
 どの場合にせよ、この少女は後先考えず好き勝手するだけではなく、戦略でハルの上をいっていた。
 本当に危険な敵だったということだ。
(見誤ったな……)
 愉悦に満ちた少女の顔を見上げながら悔いる。
「お仕置きが必要なのはあなたね、ハルちゃん……? まだ何か隠し持ってると嫌だから、念には念を入れさせてもらうわ」
 倒れ伏したハルに虫が集り、わずかに残った服さえ削り取っていく。
「毒はそう長くは持たないけど、これさえ取っちゃえば大丈夫ね?」
 近寄ってきたリズがハルの口の中に指を入れ、変形させた「鍵」を奪い取った。字通り丸裸のハルに抵抗するすべはない。噛み付いてやろうとしたが全身が痺れていてうまく力が入らず、甘噛みをしてリズを悦ばせただけに終わった。
「いいよぉ〜。まだまだ楽しみましょう? ハルちゃん……」
 ハルはせめてもの抵抗として意識を手放そうとした。

 だがそのとき重い鉄の扉が開かれる音を聞いて我に返った。

「増援……!?」
 リズもハルの体をまさぐっていた手を止め、入り口を警戒する。
(まさか、桜花さん!? ヴァン?)
 ハルは最後の期待を込めて入り口を見つめた。
 だがそこにいたのはハルの予想を裏切る人物だった。
「ハル! さがした」
 逆光を受けてきらめく浅葱色の髪。
 ハルより頭一つ小さい小柄な影。
「亜癒ちゃん……!? どうして……」
「さっきすごいあわてて走ってくの見かけたから。なにかあったの? どうしてはだかなの?」
 ハルは神を呪った。まさかそんなひどい偶然があるなんて。このままでは亜癒までもリズの毒牙にかかってしまう。
「逃……げ…て!!」
 痺れた喉を酷使してなんとか声を振り絞る。
 案の定リズが会心の笑みを浮かべていた。
「あらぁ、ハルちゃんの知り合いなの〜? あの子も捕まえちゃえば色々楽になるわねぇ……それにとっても可愛らしい」
 リズの瞳がカッと金色に輝き、大量の虫が亜癒に飛来する。
「うわっ虫っ!?」
 亜癒が怯えた顔で一歩後ずさる。
「いただきまぁす……♪」
 速い。数も多い。十や二十ではない。これではどちらにしろ逃げるなんてとても無理だ。
 リズの虫はハルのときと同じようにあっとういう間に亜癒の全身を覆い尽くし、

 そのまま溶けるように消えていった。

「え……!?」
 リズが魂の抜けたような声を出す。何が起きたのか理解できないのだ。
 そしてそれはハルも全く一緒だった。
 亜癒自身も何が起きたのかわかっていない表情のまま、しかしその全身はうっすらと浅葱色に輝いている。
 まさかこれは亜癒の超能力なのだろうか。しかし亜癒の能力は透明化のはず。これは一体どういうことなのか。
 その場にいる全員が混乱している最中にも、虫の消滅の波は術者にフィードバックされ、展開されていたすべての虫が消失していく。ハルに群がっていた虫消え、リズの瞳の輝きもおさまってしまった。
「なんなの……一体この子はなんなのよぉ!?」
「よくわかんないけど」
 亜癒がハルに駆け寄って両手を広げた。
「ハルをいじめちゃダメだから」
「ありがとう、亜癒ちゃん」
 瞬間、リズの手元で碧い光が弾け、鍵が消滅した。
「何で——!?」
 碧い光はハルの手に収束し、鍵となって再構築される。
 虫が消失した影響でハルの体内の毒も消滅したのだ。
「鍵は私とつながってる。最初から奪っても無駄なんですよ。——変身」
 碧い光が裸身を包み、再度戦闘衣装に身を包む。
「亜癒ちゃん、ちょっと目をつぶっててねー。きっとこれからあんまり教育に良くない光景が繰り広げられるから」
 碧い双剣がハルの手でギラリと輝いた。
「さあ、今度こそ覚悟はいいですね」
「あ、あ……」
 リズがガタガタと震えて退くがもはやハルの中に可哀想と思う気持ちは全くなかった。
 それから桜花たちが到着するまでの間、倉庫にはリズの悲鳴が響き続けた。





・エピローグ ホワイト・ファング


「結局あたしたち、相手にもされなかったね」
「ああ」
 ファーストフード店で、カズはビッグバーガーとテリヤキバーガーを貪るように食べていた。トレイの上には他にも三つバーガーが載っている。やけ食いというやつだ。
 対照的にエイミのトレイにはSサイズのコーヒーが載っているだけだった。
 カズのやけ食いも、エイミの食欲がわかないのも、原因は同じだった。
 無論この前のDuskへの殴り込みである。
 佐倉桜花には完敗したが、板堂聖派にはそもそも敵とすら思われていなかったのだから。勢い余って飛びかかったケンタロウなど蚊を払うよりあっさりとあしらわれてしまったほどだ。
 リズの映像とともに組織の正義を問われたわずかな問答の後、エイミとカズは意識を取り戻したケンタロウと偵察部隊の二人を半ば押し付けられるように突っ返され、なんのペナルティもなしに悲しいほどあっさりと解放されたのだった。エキストラの収録だってもっと何かあるだろうというくらい何もなかった。
 一度は死ぬ覚悟までして組織の本部に殴り込んだというのにこうもあっさり見逃されるなど、逆に屈辱だった。圧倒的強者から見れば虫にも満たない存在なのだろう。
 こうなると佐倉桜花がDusk最弱だという説にも信憑性が出てくる。
 実際、ハルも相当な強さなのだと直後に実感させられた。
 解放されたカズとエイミはすぐに倉庫に向かったのだが、そのときハルはすでにおらず、リズがニホンザルのように真っ赤になった尻を突き出したまま恍惚とした表情で気絶していた。どうやら怒ったハルに手ひどくお仕置きされたらしい。カズもエイミもあまりにひどい光景にしばし開いた口が塞がらなかった。
 性格はともかくリズの虫はカズもエイミ二人掛かりでも勝てるかわからないほど強い。そのリズが人質をとって圧倒的優位に立った状況からあっさり逆転されたのだから、ハルも桜花と同等以上に強いのはおそらく間違いない。
「エイミ」
 3個目のバーガーを食べ終わったカズが一旦手を止めてエイミに呼びかけた。
「ん?」
「……俺もっと強くなるよ。佐倉桜花や、板堂聖派にまけないぐらいに。そんでさ、胸張って正義の白を貫くんだ。『ホワイト・ファング』ってそういう組織だと思うから」
 カズはそう言ってエイミの手を力強く握った。
 エイミは驚いて顔を上げた。いつも手を握るのはほとんどエイミからだったのに。やけ食いしてる最中で、口元にケチャップまで付いているのにいつもより頼もしい顔つきをしている。
 ——カズはきっとあの「負け」から少しだけ、大きくなったんだ。
 エイミは少し照れくさくなって、顔の赤みをごまかすように微笑んだ。
「……うん。そうだね! あたしたち、もっと強くならないとね。戦う力だけじゃなくてさ。あのとき板堂に言い返せなくって、すごく悔しかったから」
「俺たちの牙は——」
「——決して折れない、だもんね!」
「あら、公衆の面前でお熱いことね」
 ガタッ、と二人が一瞬で距離をとった。
 案の定ニヤニヤしながらリズが二人を見ていた。
「い、いつからそこにいたの?」
「俺もいるぜ」
 ケンタロウも奥からのそりと現れた。手際よく机をくっつけてエイミとカズの隣に二人が座る。
「まあいいけどよ。イチャイチャしてでも二人が元気になってくれるのが俺たち『ホワイト・ファング』にとっちゃ一番だからな」
「イチャイチャなんてしてないし!」
「どうでもいいけどDusk関係のときはまたリズも呼んでね?」
「お前あんだけのことをしておいて……もうハルさんに迷惑かけるなよ」
「もうしないよぉ〜。リズは真実の愛に気づいちゃったんだもん」
 リズがしまりのない顔で身をくねらせた。
「ハルちゃんにお仕置きされたとき、感じたことのない喜びが全身を支配したわ。これがリズが本当に求めていたものなんだってわかっちゃったの。ああ、今度はもっとめちゃくちゃにしてほしぃ〜」
「よだれ垂れてるぞ……」
 ケンタロウが完全にドン引きした顔でティッシュを差し出した。
 カズとエイミが同時にため息をついた。
 リズはあれ以来なんだかわからない危険な感じはだいぶ抜けたが、別の方向にダメ人間になっていた。もはや狂犬というより駄犬である。
「拾った犬の責任は持てか……」
 カズは改めて組織の運営の大変さを憂いた。
「やっぱあたしもお腹減ってきた。一つもらうね!」
 言うが早いかエイミはカズのトレーからテキサスバーガーを奪い取った。
「お、おい。それ食べかけだから、こっちにまだ食べてないのあるし」
「いいの。急にテキサスが食べたくなったの」
 そのときのエイミの笑顔は妙に晴れやかで、カズは必要以上にぶっきらぼうにエイミの口元をぬぐった。
「別にいいけどゆっくり食えよ。ついてるぞ」
「カズがふいてくれるからいいもん」
 そんなことを言うとまたケンタロウにからかわれると思ったが、もはやケンタロウもアメリカンなポーズでお手上げを表現するのみだった。
 エイミはうろたえるカズに構わず、やけに素直な笑顔で言ったのだった。
「これからもよろしくね、リーダー」
「……おう!」
 観念してカズも素直に応じた。
 きっと先は長い。
 これから先もっと辛いことだってあるだろう。
 でもきっと大丈夫だ。カズは仲間たちを見てそう確信した。
 不器用で時にどうしようもない連中の集まりだけれど、これからもきっと『白』を貫いていける。
 だって「流星のホワイト・ファング」の正義の牙は、決して折れたりしないのだから。
 



・エピローグ Dusk


 ホワイト・ファングによるDusk襲撃事件から二日が経った今、桜花たちは温泉宿に旅行に来ていた。以前ナポリタンを食べながら適当に話していた計画をハルはちゃんと実現させたのだった。
「楽しい楽しいゴールデンウィークの旅行前だっていうのにとんだ目に遭いましたよまったくもう! その分今回は思いっきり楽しみますからね!」
 この前の事件で一番ひどい目にあったハルはその反動か終始ハイテンションで温泉旅行を満喫していた。

 夜、露天風呂から上がってジュースを買いにロビーに行くと先にソファで板堂がくつろいでいた。寝間着代わりの浴衣に、フルーツ牛乳。由緒正しい温泉スタイルだ。
「お前って結構形から入るタイプなのか」
「なんだ藪から棒に」
 心外そうな顔をする板堂に構わず自販機で飲み物を買ってから机を挟んで向かい側のソファに腰掛ける。
「いや、感想。この前のこともあったし」
「この前? ナポリタンのことか?」
「違う、この前の殴り込みの時の話。『ホワイト・ファング』の前では悪党のふりしてただろ」
 板堂は一瞬動きを止めて、
「バレバレだったか?」
 と首をかしげた。こんなところをカズやエイミが見たらどう思うのだろう。
「あの時のやり取りは、敢えて誤解を解かないようにしてるとしか思えなかったからな」
 板堂はきっとホワイト・ファングが見たら邪悪に見えるだろう笑顔を浮かべた。
「お前には敵わないな」
 板堂は一口フルーツ牛乳を飲むと、ソファに深くもたれかかった。
「ああいう連中は他人に思えないんだ。君は最近超能力者になったし、割と冷静な性格だからわからないかもしれないが、私が超能力者になったのも彼らくらいの年頃だったのでな」
 今まで3ヶ月くらい一緒にいて、板堂が自分の過去を話すことはあまりなかった。桜花は興味を惹かれて少しだけ身を乗り出す。
「当時は彼らと同じようなことを考えたよ。『この力で誰かを救えるんじゃないか』とか、『何か自分にしかできない大きなことができるんじゃないか』とか『なんなら世界征服できるんじゃないか』とかな。実際私は彼らより色々なことができたし、彼よりも思い上がっていた。その分、絶望を知るのも早かったがな」
「絶望?」
「君が言ってた、『超能力があっても俺はただの学生だ』って奴だ。私は痛い目にあうまでそんなことにも気づけなかった。先生と会わなかったら、きっと悲惨なことになっていただろうな」
 先生。何度か話に聞いた、板堂と一緒にDuskを創設したという人。相当忙しいらしく、結局まだ桜花は一度も会えていなかった。
「だから彼らには楽しい範囲にいて欲しい。子供の遊びで終わる範囲にして欲しい。正義の味方として本当の社会の闇に触れないように、Duskを悪の親玉だと思っているぐらいでいいと思うんだ」
 優しい悪の親玉もいたものだ。
 桜花は思わず苦笑してしまった。
「まあ俺の昔話なんかどうだっていい。それよりこっちも聞きたいことがある。いくら店長に習ったとはいえ、いつの間にあんなに強くなったんだ?」
 そういえば板堂は桜花と店長の特訓を見てはいないのだった。
「ああ、その話。昔おじいちゃんの家に行くたびに素振りとか色々やらされてたのが良かったみたいで。店長いわく『特定の型や武術にはまらず、基礎だけができてるってのは一番鍛え甲斐がある』とかで、すごい気合い入れて教えてくれたんだ」
「剣道未経験者にしては妙に剣さばきが様になってるとは思っていたが……そんな過去があったか」
「一応おじいちゃんの家は結構由緒正しい家だったみたいで、そのおかげで日本刀とかも見ることがあったから。そもそもこの陰陽桜も元を辿ればおじいちゃんのだしな。代々長男に受け継がれてるとかなんとか」
 もちろん桜花が日本刀を振るったことはなかったが、いつも高そうな日本刀が飾ってあった。無意識に桜花が変化させる「刀」の形態はその影響が強いのだと思う。
 今回桜花の訓練の大半は、基礎的な身のこなしと、陰陽桜の使い方についてだった。
 店長は、陰陽桜の最大の武器がその変幻自在さにあると言っていた。相手の意表をつくことは何よりも有効な戦術だと言い、特訓の半分は陰陽桜の新たな変化形態を考えることに費やした。桜についてあれこれ考えていたらなぜか桜の大樹が召喚されたときは、さすがの店長も呆気にとられていた。
 他にもハルに習った変身の応用である『鎧』形態は今回もかなり役に立った。強力なものの扱い辛い「樹」とは違い、今後多用することになるかもしれない。
「しかしたったひと月程の訓練であれとは君も店長も恐ろしいな。まるでバトル漫画を見ているようだったぞ。あれでDusk最弱を名乗るなど白々しいにも程がある」
「ちょっと動けるようになったからってお前や店長の足元にも及ばないよ。でも一体店長って何者なんだ? ただのラーメン屋じゃないとは思ってたけど」
「さあな。詳しいことは私も知らない。ただ——」
「ただ?」
「私のバリアーを破壊したのは後にも先にも店長だけだ」
「えっ」
「しかも素手でな」
 さすがに桜花は言葉を失った。
 ライノライズとかいう突進攻撃やカズのイグナイト・ゼウスを容易に防いだという見えない障壁を店長は素手で叩き壊したというのか。
「店長いわくちょっとしたコツらしいがあの時は衝撃だった」
「……ところでなんで今回は俺に全部任せたんだ?」
 あまりに非現実的な事実に頭が混乱しそうだったので桜花は強引に話題を変えた。
「君が『Dusk最弱だから』ではなかったのか?」
「もう言うなよ……」
 とっさに悪の組織感を出そうとしてのハッタリだったため、改めて他人の口から何度も言われると相当恥ずかしい。
「悪かった。理由は大きく三つでな。まずは店長が君の戦いを希望したこと。もう一つはハルがエイミやカズに真面目に取り合ってあげるように希望したこと。それから最後に、君に一般的な超能力者の姿を知って欲しかったからだ」
「一般的な……?」
 最初の二つはそれぞれなんとなく聞いていたが、三つ目に関しては聞いただけではどういう意味かわからなかった。
「実はDuskの超能力者はイレギュラー揃いでな。君やハルは自分自身ではなく超能力を宿した道具の使い手だし、亜癒ちゃんも謎が多すぎる。本来7年前から発生し始めた超能力者のほとんどが、カズやエイミのような自分自身に超能力が宿り身体機能の延長として能力を行使するタイプなんだ」
「あっちがスタンダードなのか」
「数の上ではな。能力はやはり千差万別だが、基本的な共通点として彼らは自分の中の『体力』や『感情』などをエネルギー源として超能力を限定的に行使できるようだ。君と戦った三人は見たところ体力や気力を消費しているようだったな」
 桜花は頷いた。連射はできなそうなことを言っていたし、後半カズは露骨に疲れていた。あの状況でステゴロ勝負なんてよく挑んできたものだ。最初から互いに素手だけでの真っ向勝負ならまだ勝負はわからなかっただろう。
「それで……お前はどうなんだ?」
「私か?」
「板堂こそ例外中の例外って感じがするからさ。それこそ亜癒ちゃんと同じかそれ以上に」
 板堂は少し申し訳なさそうに首を振った。
「今まで話す機会を逸していたが……じつは私自身にもよく分からないんだ」
「そうなのか。少し、残念だな」
「……ただ一つ、感じることはある」
 板堂はつぶやくように言った。
「これは私自身の力ではない」
「え……?」
 桜花はその予期せぬ返答に戸惑った。
 板堂はただ静かに、どこか遠くを見つめていた。

「桜花さん! ヴァーン! 部屋にいないから探したっすよ!」
「桜花! おへやにもおふろある! あとでいっしょにはいろ!」
 バタバタと湯上りの亜癒とハルが駆けてくる。
 板堂に視線を戻した時にはその顔はいつもの余裕のある笑みに戻っていた。
「佐倉、私はちょっと外で電話をしてくる。その間遊んで待っててくれ」
「あ、ちょっ、板堂」
 制止も聞かず板堂はとっとと行ってしまった。
 電話とは、店長やミラー先生という人とだろうか。
 板堂が出て行った自動ドアを見つめていたら、後ろからハルに羽交い締めにされた。
「桜花さーんつれないですよ〜。美少女二人が一緒なんですからちょっとは羽目外したってバチは当たりませんよ?」
「ハル、その格好で密着はさすがにやばい!」
 亜癒も負けじと腰のあたりにしがみついてきた。
「おんせんもいっしょにはいってくれないしー」
「男湯と女湯っていうのがあってね……」
 混浴のないところでよかった。

「ヴァンも少しリラックスできてるといいんですけど」
 部屋に戻る道中でハルがぽつりと口にした。
「私がああいう目にあったの、結構気にしてるみたいで」
「ああ」
 リズの拷問は常軌を逸していた。少なくとも女子中学生が嬉々としてやるレベルではない。
 そして板堂はあの後、リズの行動を読みきれなかったこと、すぐに救出に向かわなかったことをかなり悔いていた。ハルが「ヴァンのせいじゃないっすよ!」と言って表面上は終わったのだが、板堂はハルを危険に巻き込んだことを少し引きずっているようだった。
「あのときの亜癒ちゃん……」
「そういえばあのときなんで亜癒ちゃんが?」
 桜花が倉庫に駆けつけたとき、なぜか亜癒もそこにいた。
 一体何がどうなってあそこにいたのか、桜花はまだ聞いていない。
「ふたりともはやくー!」
 亜癒に声をかけられて、考え事をしながら歩いていた二人はいつの間にか亜癒にだいぶ置いていかれていることに気づいた。
「とにかく、ヴァンにも私がもう平気ってわかるぐらい楽しんでるとこ見せないと!」
「……だな!」
 二人は笑い合い、小走りで亜癒を追いかけた、
 難しいことを考えるのは、旅行が終わってからでも遅くはないだろう。



『施境亜癒。やっぱり僕の見立て通り、あの子が鍵だね』
 夜風に吹かれながら、板堂は険しい顔で携帯電話を握りしめていた。
「やはり亜癒ちゃんをあの場に居合わせるよう仕向けたのはあなたでしたか、坂本先輩」
『ちょっとロボットで誘導したら簡単についてきてくれたよ。素直で助かるね。しかし想像以上に面白いものが見られたよ。彼女の能力は、間違いなくあの事件にも一石を投じることになるだろうね』
「あの事件……まさか、それは」
『そう、君たちがご執心のハーメルン事件さ。近々、面白いものが見せられるんじゃないかな。喜べよ板堂。もうすぐ扉は開く』
「扉……」
『きっと一度動き始めたらそこから先は早いよ』
 含み笑いを残して、電話は切れた。
 板堂はその後しばらく携帯を握りしめたまま立ち尽くしていた。



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プロフィール

Author:黒ザトー
小説『Dusk』ゆるりと更新中
並びにボイスドラマ企画『Dusk ep0 ゆめのせかい』
企画中


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